平成14年6月4日。
 
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急に熱が出、それがあまりにも高熱の場合、いきなり代打日記をぶちかます事があります。
というわけで、最近かえるを愛人としてしまい、無体の限りを尽くしてくれる
「裏MIZUHAの憂鬱」のみずはさんに代打日記をお願いしました。

お題は「幸せについて」をお願いします(ぺこり

喜怒哀楽。
幸か不幸か人間は、どんな感情にも慣れるということが出来てしまう生き物です。

時が悲しみを癒してくれるといいます。
これは時間が経つことで悲しみを忘れられるという意味ではありません。
長い時間の中で、様々な喜びの感情や記憶が悲しみを薄れさせてしまうという意味でもありません。
ただ単に、悲しみつづけることに疲れた心がその痛みに耐性を持ってしまうだけ。
どんな悲しみにも心が慣れてしまうというだけのことでしかありません。

一度受けた毒や病原菌に、身体が抵抗力を持ってしまうように。
一度感じた、どんなに大きな悲しみの記憶や感情にも、心は抵抗力を持つようになります。
同じ悲しみを受けても、二度目は一度目よりずっと楽なのはそのせいです。

怒りの感情もそうです。全く同じただ一つの事柄に年がら年中、怒りつづけることは出来ません。
消えることはなくても、少しずつ激しさは薄れていきます。

そして、それは喜びとて同じこと。
どんなに楽しいことでも、毎日続けばそれと気づかずに退屈と変わらなくなります。
そうして心は幸せであることに慣れてしまい、自分が幸せであるという感覚は麻痺してしまいます。
ただ単に楽しいだけの人生なら、きっと心は幸せの意味を見失うことでしょう。

幸せは誰もが望むもの。
悲しみは誰もが避けたがるもの。

だからといって、悲しみをただ耐えなければならない試練だと思う必要もない気がします。
自分の悲しみを知る心は、他人の同じ悲しみを知ることも出来るようになります。

不安も悲しみも痛みも、全ては意味があって存在しているのでしょう。
自分と他人にとって、次にやってくる幸せにつながるために。
それは多分、かわるがわる寄せてはひいていく波のような。
      
 
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