平成15年1月15日。
 
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ふと、かえるを省みると、色んな意味でチャンスを失っているなぁと
感じているかえるです。
こんばんは。

最近、色んな事で忙しすぎるので、
かえる自身の細部が大分おろそかになっている気がしているのです。

時間が無いという事だけで、美容院にいけなかったり、
スカートの裾の糸がほどけてしまったのに、やっぱりなかなか繕えなかったり、
あまつさえ、時間が勿体無いという事だけでお金で解決できることは
とにかく解決してしまおうと大枚払ってみたり・・・。

「今とにかく色々やってしまえ・・・」とがしがしと動いているわりには、
何故か、「これをやってみた」という充実感が無いという
不思議な気持ちを感じているのです。

やらなくてはいけないモノゴトの多さ。
それから外れてしまったモノゴトの、小さく積み重ねられた不満。

そんなものが多くなりすぎると、そのうち何をやっても
「きちんとやった」という満足感と充実感が得られないのでは?
とかえるは思います。

とにかくお仕事が忙しくて、それしか見えていないときには
自分の身なりというものはあんまり気にしないかもしれません。

けれども、24時間その「お仕事しか目がいかない」という状態には
ヒトはそうそう居られないものですし、
もし、居続けられてしまうならそれは「ワーカーホリック」
というモノとなってしまうので、色んな意味で休息が必要だと思います。

ふとお仕事から目をはずした時、自分の身なりが悪かったり、やりたい事が出来ていないと、
かえるはなんとなく恥ずかしさや切なさを覚えます。

家で調べ物をしている時に、髪がゆるゆるというのはまだ愛嬌が有るかもしれませんが、
それを外でやっているのに気がつくと、「・・・かえるはまだヒトになれない・・・。」
と寂しさもついでに覚えてしまうのです。

やらなくてはいけない事はやっている。
けれども、ヒトとしてきちんとしないといけない部分というものは手抜きをしすぎている。
というのは、何となく非モテへの道を一直線な気がするからです。

これはお金でも同じだとは思うのですが、
ヒトへの配慮、ヒトとしての態度というものは、無くても生きてはいけるかもしれませんが、
あるに越した事はないとかえるはしみじみと思っているからなのです。

お金がきちんとお財布に入っていたほうが、「何か」があった時に慌てなくて楽。
ヒトへの配慮・ヒトとしての態度というものが出来ていた方が、
「あのヒトは良いヒトだ」という評価が貰えて、いざという時楽ですし、
ヒトとして愛してもらえる機会が増えて幸せ。

ただ、その「評価」「何か」というものを仮定しすぎて、
『自分』というものを見失ってしまうと別の意味で大変ですが、
かえるは何となく、「無理の無い範囲での、きちんと」というものは、
時にはお仕事よりも大事であると思うのです。

「やらなくてはいけない事」と「きちんとする事」
上手くバランスを取らなくては、人生のチャンスを逃してしまうのでは?
とかえるは思います。
      
 
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