平成15年2月26日。
 
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そろそろ就職活動真っ只中になるのだなぁ…と思っていたところ、
やっぱり「真っ只中でね…」という電話を貰ったかえるです。
こんばんは。

「社会に出ると言う事は、社会の歯車になるみたいで嫌だ」
という言葉があります。

今まで、学生として「自分」を自由に使っていたのに、
就職をする事で、少しづつ自分が社会の一部分として埋没していくのは、
何だか耐えられない…。
という事らしいのですが、正確にはいまだ社会に出ていないかえる、
これは少々途方に暮れてしまいました。

 「学生でない、何にも所属していないのは不安で仕方が無い。
  けれども、社会に属してしまうと自由がなくなるみたいで嫌だ」

かえるは、さっきの言葉がそのように聞こえたからです。

確かに、何にも所属していない「完全なる自由」というものは、
一見とっても自由そうに見えますが、
その実、とっても不自由である事をかえるは知っています。

いつ起きるか?
いつ眠るか?
そして、いつ出かけるのか?

何も決まっていないと言う事は、逆にいえばこんな当たり前な事から
全て自分で決めないといけません。
なんだか、1から10まで全部決定しないといけないみたいです。

けれども、社会に出ると言う事は、ある程度社会が決めてしまいます。

何時に起きなくては遅刻してしまう。
何時から何時までは会社が自分を拘束しているから動けない。
出かける予定が出来ていても、最悪仕事と言う事で動く事が出来なくなってしまう。

けれどもそれさえやってしまえば、それ以外は確実に自由な時間ですし、
思考というものは、いつどのときであっても自由である事は確かです。

自由の中にある、決定しなくてはいけないと言う束縛。
束縛の中にある、それ以外の時間という自由。

そのバランスというものが、一時的に壊れるのが
「就職するまで」と「就職」という一過程なのかなぁとかえるは思います。

新しい世界に、自分を合わせていく「社会化」という行動。
今まで自分が中心に回っていた世界が、
はじめて小学校に行き始めた時のように、少しづつ、自分の自由が減っていく。

そんな感じで、今度は社会に出ると言う「社会化」
というものが出来るのではないでしょうか?

こればかりは、かえる「こう」というものがありませんが、
どんな世界に自分を合わせたとしても、
どんな社会の中にだって、「自分の考え、譲れない何か」というものは
存在しつづけると思うのです。

社会の社会化を終了した方は、「社会」はどう見えているのですか?
      
 
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