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飲み物を飲めば涙目になり、
食べ物を口に含めば、やっぱり痛くて涙する。
そんな口の中が大災害になっているかえるです。
こんばんは。
お茶の道具を出したりしまったり、手元に置いたり
向うにやったり、足をさばいたり、
ついでに転んだり、茶せんを飛ばしたり、
正座のしすぎで転んだりするようになりました。
何処に何を置くのか?
その順番。
ついでにもち方。
何歩でそれをもっていくのか?
という事を全部きっちり決まっているというお茶を、
わたわたとしながら、立ったり座ったりとわたわたと、
そして、がしがしと繰り返し行う。
1−10まで、全部決まりがある事。
それをただ覚えれば、ある意味よいという事。
そして、
紙と鉛筆だけあればよい。
そして、過程などある意味どうでも良い。
ただ、考えるだけ。
つむぐだけ。
さっき読んだ雑誌の記事の言葉の切れ端。
ちょっと前に電話した、気持ちの欠片。
明日、しなくてはいけない事というちょっとした焦り。
残り時間を刻む時計の音。
今まで、生きてきた中で考えてきた、思ってきた事。
そんなものを全部まぜこぜにして。
ふんわりと「伝えたい事」という事象を、気持ちに変えて。
変えた気持ちを、言葉に変えて。
そして、伝わりやすいようにと、体裁を整えて。
どうしたら、傷をつけぬように伝えられるか?
ときりきりと色んなものを絞って、削って、膨らませて。
ただ、ひたすら0から1を作る事。
と、まったく違う2つの「形」
過程を全部みせる、必要とする。
「外」が必要なこと。
と、
過程をみせる必要の無い、一人ぼっちでかしかしとする
「内」が必要なこと。
一見、全く反対のことなのですが、
それでも、時々、わしわしやりながらかえるがこっそり思う事。
外にこだわりすぎると、そのうち内でも考え始める。
内にこだわりすぎると、そのうち外でも形が出来始める。
一見、全く違う事に見える事。
けれども、結局は、自分が無いと出来ない事。
中から湧いてくる事が無いというのであれば、
たまには、形式で動いてみるというのも一興かもしれません。
形の中から、出てくる事。
心の中から出てくる事。
時にはあると思うのです。
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