平成16年1月21日。
 
○
知らないと何もいえなくて、
ちょっと知っていると、とっても不思議な解釈で、
知れば知るほど、相手に黙るしかない…というものなのだなぁ…
と、しみじみしていたかえるです。
こんばんは。

以前、夢診断というものに妙に興味を持ったことがあります。
フロイト的「夢はすべて性的抑圧が出てきたものだ」という意見ではなく、
ユング的「夢は抑圧と想像のためにある(意訳)」的な意見を読んで、
なんだか楽しそう…と、ふらふらと調べたり、授業を受けてみたのです。

が、調べてみれば見るほど。
授業を受けてみれば見るほど。

分かった事は、「他人の夢を軽々しく分析したり、それを人に話してはいけない」と言うこと。

仮に「夢分析」というものが、真実をつくものであったとしても、無かったとしても。
真実をつくものであれば、軽々しく真実を語ってしまえば、
せっかく本人が姿を変えさせて「夢に現れてきた、乗り越えるべき課題」を言い当ててしまうという
ちょっと切ない事になってしまいます。
下手をすれば、「私、そんな事思っていない」と余計拒絶させること請け合いです。

そして、「夢分析」というものが真実をつかないものであったとしても。
「こうに違いない」という分析を、「心理を学びましたよ」という人が言う事で、
権威的、圧力的にその分析を押し付けてしまい、余計な心労をしょわせる事に
なってしまうからです。

知れば知るほど、黙るもの。
そして、知らなくても黙ってしまうもの。

「夢分析」という柔らかい言葉のものであっても、軽々しく扱ってはいけないのだなぁ…
と、ぽちぽち考えた夜寝る前でした。

ねむねむ。
      
 
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