平成16年4月19日。
 
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ここ数日で同じ意味の言い回しを何度も耳にし、
その度に「?」と思ったかえるです。
こんばんは。

「『死にたい』という人に限って自殺などしない」という説があります。

死んでしまいたい。 と口にする人が死んでしまったという事はないので、
あんまり気にせずにいなさいな。 ということみたいです。

確かに、一々真にうけて、「大丈夫かなぁー」「平気かなぁー」と思いはじめると、
心の奥底からキリがないこの手の悩み。
自分の気持ちであっても持て余し気味なのに、人様の気持ちまで考える…
というのは、余り楽ちんなものではありません。

運が悪いと、その気持ちを自分のものにしてしまって悩んだり…と、
出口の無い迷路に閉じ込められた気分になり、踏んだり蹴ったりな気持ちが味わえてしまったりします。

そんな「嫌な気持ち」から逃れるために作られたであろう、先の言葉。
でも、かえるは「なんだかちょっとだけ違うのでは?」と思ってしまうのです。

「「死んでしまいたい」「居なくなってしまいたい」と言う人は居なくならない」
そう、強く言う人が居ます。
きっと、その人の周囲にはそう言って居なくならなかった方はいらっしゃらなかったのでしょう。

でも、かえるやかえるの周囲の人たちは「それで、本当にいなくなった人が居る」と事実を知っています。
また、そうやって居なくなった方達の周囲がそれを必死で隠しているという事も。

そんな方達から漏れ聞くコトは、「気がついていれば」という言葉。

生活に追われて、他者を思いやる事が出来ないままに居なくなった事実を知ったときの驚愕と、
それからずっと消えること無い、自分への問いかけの言葉。

かえるは、居なくなってしまった人も、残された人も、両方辛いなぁと感じます。

確かに、本当に居なくなりたいのであれば、「居なくなりたい」とは言わないでしょう。
さっさと居なくなるだけの話です。

けれども、居なくなってしまった人は、「居なくなりたい」と口にした。
もしそれを聞く人が居れば、これは聞いた人の心を揺らすでしょうし、
なにより、口にした人自身の心を揺らし、何かをたしかめているのでは? とかえるは思います。

自分の心を揺らした場合。
何より、居なくなりたくないのは自分自身であって、
何より、その「居なくならないといけないと思わざるを得ない状況にいる自分」から逃げたいのは、
その人自身ではないでしょうか。

そんな、「状況」と「自分」とを天秤にかけているその時の言葉。
そういう時に、「居なくならない」と自分を否定されてしまうのは、何よりも切ないのでは?
と思ってしまうのです。

なんだか、いきなり自分自身を否定されてしまった感じで悲しくなってしまいます。


「居なくなる人は居なくなりたいなどとは言わない」
と、声強く言う前に、周囲を見渡してみてください。

果たして、その場に居る人全員が、その強い言葉を聞いてよしとするのでしょうか。

表立って否定はしなくても、内心苦い思いをした人が居ないなどと、
誰が言い切れるのでしょうか。



そう言って、泣いてしまった電話の向こうにかえるは何も言えません。

色んな価値観があって当たり前であるはずのこの世間。
持論をもつのは大層凄いと思いますが、自論がもてるのであれば、
他者の論を否定しないぐらいの何か、も持っていただけるのであれば、幸いです。
      
 
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