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ふと、「どのくらい歩けるのだろうか?」と心の中でかけをはじめ、
ひたすら歩いてみたかえるです。
こんばんは。
「心の限界を超えたカケから降りるのには、
一体、どうしたらよいのでしょう?」
最近、かえるの心を占めているこの疑問。
限界を超えるまで、ただ、待ちつづけていた事。
ここで辞めたら…と、ひたすら、待ってみた事。
けれども、周囲の人を心配させてまで。
体調を完全に崩すまで、心をくっちょりさせるまで、
それをしつづける事は、多分、その人の我が侭になるのでしょう。
そう思っても、「その賭け事」から降りられないなら。
吊り上げすぎたベットを捨てられないと嘆くなら。
それは、既にその賭け事無しでは生きられない状態にまで、
心とらわれている状態ではないか…?
と、かえるは時々思うのです。
「降りられない賭け事。」
お金をかけたものでも、心をかけたものでも。
多分、そんな賭け事には興じてはいけないのです。
興じた時点で、それは、興じた人の負けなのです。
とらわれた人の負け。
それが、ある意味「依存症」と呼ばれる症状にまで
発展してしまう一番の理由ではないでしょうか。
そんな考えにふとたどり着いた今日昼間。
・・・歩くのが楽しいからと、何の考えもなしに何駅分もざくざくあるくと、
後で日焼で泣くはめになるのだと思い知りました。
何事も程々が一番です。
いたいよーいたいよー。
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