平成16年7月16日。
 
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朝、目覚し時計を止めてからさらに寝なおすという事をすると、
一気に昼夜逆転する事が分かったかえるです。
急にやるとけっこう辛いものです。

人が2人以上集まり、2つ以上の絶対的意見が出てきてしまうと、
何故起こってしまう「あっちの意見は間違っている」という激論。


・・・こう、あちこちで最初は建設的な意見であっても、 
最後にはぐだぐだになる理由みたいなのを見た気がしました。


例えば、 
「朝ご飯」を食べるか食べないかという話し合いであっても、 
そのひと人個人が持っているある一定の意見・・・といったものが、 
だされきってしまうと、その次に発生するのは、 
何故か、自分と相容れない意見を持つ人の人格批判になってしまうのです。

朝ご飯を食べるかたべないか。 

食べるとしたら、和食洋食フルーツフレークと沢山あるし、 
朝ご飯を食べないとしても、飲み物は飲むのか何も飲まないのか 
といった恐ろしく多種多様な実際行動があるのにも関わらず、 

なぜか、だんだん、 
「朝ご飯を食べる人は馬鹿だ」とか、 
「朝ご飯を食べない人は生活がなってない」とか、 
食べる/食べないで話しあっていたところとは全然違うところを 
指摘しようとしたり、断定しようとするのです。 

同じ食べるであっても、 
和食じゃないと駄目な人、パンじゃない人が駄目な人がいるわけですし、
仮に、そのことについて何かを言ったとしても、 
「明日から○○を食べるよ」と意見を覆せるわけでもありません。

・・・。 
朝ご飯食べようが、食べなかろうが、 また、何食べようがのもうが、 
それは、その人が決めた事なのですし、 
その決めた事は、例え栄養士さんが「食事栄養上悪い」としても、 
本人が「変更しよう」と思わなければ、 
ただの良い迷惑だし、他者からの価値観の押し付けに過ぎないでは・・・
と、かえるは思ってしまうのです。


かえる的には、 
朝ご飯は、昆布と鰹節だしのお麩田舎味噌にご飯、 
しらすぼしと明太子が一番からだ的には楽チンです。 
でも、たまにはフルーツジュースだけだったり、洋食になったりしますが、
それはそれで美味しいなぁと思ってしまいます。

要するに、美味しく食べられるのであれば、何でも良いのです。
無節操と呼ばれるかもしれませんが、かえるはこれでよいと思っています。

食べ物の話だったら、まだ、笑える話。

でも、時折こんな仮説断定のお話があちこちで起きているみたいです。


自分が好きなものや意見を一方的に否定される事は、
誰だって、嫌なものではないでしょうか
      
 
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