平成16年10月15日。
 
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どうしても気になって気になって仕方がなくなってしまい、
とうとう最後までお話を読んでしまったかえるです。
こんばんは。

小さな頃から気になっていた、井伏鱒二の山椒魚。
あまりの気になりっぷりに、時折思い出しては、ああでもない、こうでもないと想像し、
勝手に結末を想像して楽しんでいました。

ところが、考えを文章にしてしまうというのは、時に恐ろしい結果を招くことがあるらしく。
「読んでいないならあげるよ」と先日、山椒魚の本をいただく機会がありました。

目の前に積まれている山椒魚。
ちょっとめくってしまえばすぐに読める山椒魚。
夢にまでみた山椒魚、結末。

自制心がたっぷりと足りないかえるが、それを読んでしまうまで2日もいりませんでした。


…。

ところが、今読み返してみると登場人物が全然違うのです。
主人公である山椒魚は山椒魚のままですが、岩屋に閉じ込められたのは、蝦、ついで蛙となっているのです。

どうやら、散々文句を言っていた蝦は無事に解放されたらしいのです。
蝦ばんざい。

と、心の中でどきどきしながら読んでいたところ、
次につかまった蛙は最後の最後まで岩屋の中から出してもらえずに終わってしまったのです。


「絶対出してやらない」と岩屋の出口でとうせんぼをする山椒魚。
それに対抗して沈黙で迎え撃つ蛙。

でも、ご飯食べないとひもじくなってしまう蛙。

この、ご飯食べないとひもじくて悲しくなっちゃう蛙の最後の一言で、
山椒魚のお話は終わるのですが、蛙、蛙のくせに心が広いやつだったのです。

「別に、山椒魚のことを怒ってなど無いよ」(意訳)


…。
偶然入ってきた岩屋で理不尽にも閉じ込められ、最後の手段で黙りこくり、
おなかがすき過ぎて、いよいよ駄目だというときに言う、「怒ってない」という言葉。


同じ蛙であっても、かえるには到底言えません。
お腹がすき過ぎてそれどころの騒ぎではないですし、
第一、どう考えても悪い事をしている山椒魚に対して、そこまで広い心で接するなど、
心のせせこましいかえるには、無理な話です。


にもかかわらずの言葉。


ここ数年考えた、様々な結末のうち、それにも引っかからず、
なおかつ、読後もさらに何年もいろいろ考える事ができそうな、素晴らしい結末でした。


長い間読まれている本は、やっぱり理由があるのだなぁとしみじみと思いました。


ぞくり。
      
 
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