平成16年10月24日。
 
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色んな本を読んでいると、時折どきどきするような考えに到ることがあります。
そんな事は無いだろう…と思っていても、可能性の一つにはなるのだと思うと
末恐ろしいなぁと思ったかえるです。
こんばんは。

心理学、特に青年心理学方面の治療行為の一つに「書く」ということがあります。

思った事を書く、出来事を書く、口に出して伝えられないことを書く。

様々な「書く」がありますが、書くことによって、感情、思考をまとめ、
まとめることによって、心を正常に持っていくという面が、
治療行為になるのでは?という考え方があるからです。


けれども、「書く」ということは狂気をはらむこともあります。

夜中のお手紙は、恥ずかしくて昼読み直すことが出来ないように、
思ったこと、妄想を書き連ねる事によって、
だんだんと心がそちら側に引きずられる事もあるのです。

気持ち的には、読んだ本によって気持ちが引きずられるのに似ています。
「書く」為には、本人がもっともその文章を読まないといけないからです。


そんな事を書いてある本をぺらぺらと読んでいたとき、
ふと、「ネットの日記、テキストというのはどうだろう?」と思うようになりました。

通常状態とはちょっと違った、「誰かが見る」ところで「書く」という行為。
もし、これが何ヶ月も何年も続けよう、読んでもらおうとした場合、
書くことは、「人様とちょっと違う出来事、心情、過去、そして共感してもらうこと」では?
と思ってしまったのです。

毎日、大体の人が行っていることを書いていては、「読む側」からしたら、
あまり興味深いことではありません。
けれども、特殊なことは「読む側」への良い刺激となるのでは?と思ったのです。


…。
人は、書くことで意見や感情を整理することが出来ますが、
人は、書くことで、意見や感情、思考を変容させることが可能です。


それが、世間の中で困らない方向に変容するのであれば、『正常化』となりますが、
世間の中で生きにくい思考形態への変容となるのであれば、『異常化』と定義されても
いたし方ないのではと思ってしまうのです。


誰の為に文章を書くのか。
そして、それはどこまで自分の意見で、どこからが読んでもらう側への配慮なのか。

そういった事を見失ったまま、「誰か」を対象とした特異な文章を書き続けた場合、
それはちょっと恐ろしい思考へと走らない可能性が無いとは言い切れない。

と、思ってしまったのです。

小説を生業として書いている人たちでさえ、書いている間は憑き物が憑いているようだと言う、
「書く」という事。


長期間それを続けていく場合、上手に折り合いつけていないと恐ろしい気が、
かえるには、なんとなくしてしまうのです。
      
 
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