平成17年7月3日。
 
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食欲が無いときや、ご飯を食べるまでではない時。
そんな時には手軽に食べられるスープが素敵だなぁと思うかえるです。
こんばんは。

適当に食材と塩を放り込み、圧力をかけてやると出来上がるスープ。

かえる一人で食べるのであれば、それで十分なスープなのですが、
最近、帰りの遅い友達の為にもスープを大量作成するようになってからというもの、
ちまちまとしたことに気が付くようになりました。

例えば、トマトを使ったスープ。

一匹で食べるのであれば、ざくざくと切ったそのままをスープにしてしまえばよいのですが、
一度冷凍し、解凍したものを試しに食べてみた途端、物凄い後悔に襲われました。

トマトの皮が異常なほど舌に残るのです。

普段、圧力をかけた後に食べるスープでは気にならないトマトの皮。
けれども、冷凍し解凍することを考えたら野菜は形がなくなるまで煮込むか、
ミキサーでペースト状にした方が解凍の時に便利です。

けれども、ピューレ状にしてしまうと、今度は皮や種といった物が非常に気になってしまうのです。
流石にそれは困るので、トマトは湯剥きしてから入れ、最後には種を越してから作るようになったスープ。

豆乳を使ったスープでは、再加熱したときに豆乳部分がおぼろ豆腐へと進化する過程も見られました。
味には変化はありませんが、見た目は非常に可愛くなくなりました。
製作者ながら、ショックです。

そんな、作ったその時なら気にならない、むしろ味となる部分が、
加工方法によっては美味しくなく、足を引っ張るものとなってしまうスープ。


対象が何であってもそうなのでしょうが、普段自分が当たり前だと思っている部分が、
方法や立場によってはマイナスとなるというのを目の当たりにするのは、
非常に驚きあるものでした。


月に2度ほど、大量に作って送ると約束してみたスープ。
プロのを頼んだ方が、よっぽど楽に美味しいものが食べられるのに、わざわざ了解してくれた友は、
かえるの「当たり前」の不思議さを打ち砕いてくれる親切な友でもありました。

自分だったら「適当で良いや」と思う部分であっても、人様に食べてもらう場合には工夫する部分。
実際にやってみて、「あ、違った」と固定概念を打ち砕かれる部分。


本当に、ただのスープ制作なのですが、得るものは毎回大きいものなのです。

まぜまぜ。
      
 
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