平成17年9月4日。
 
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「人生が変わるから、開ける時には覚悟をした方がいい」という話を聞くのですが、
イマイチその信憑性が分からないかえるです。
こんばんは。

貴金属の為というよりは、よりすっきりさせたいという欲求の為。
もしくは、自傷行為に近いものもあるらしい。
運勢も変わるので、覚悟した方がいい。
いや、それよりなにより病院でやった方がいい。
夏よりも涼しくなった今のほうが腐らない。

雑貨屋さんでピアッサーを見るたびに、そして高校の校則を思い出すたびに、
「大人になったのだから開けてみたい」という衝動に駆られるピアスの穴あけなのですが、
一部の大人気ない反対にあったり、本来の怯え症が発揮されたりと、
未だにあけていない不思議なものなのです。

微妙に関心はあるけれども、開けようとは積極的に思えない穴あけなのですが、
人に聞けば聞くほど、これが「医療行為」と「人生変更」に重要な意味を持つと重ねて言われ、
かえる、だんだんと不思議な気持ちになってきました。

確かに、ピアスの穴あけは医療行為です。
病院でお願いすると、手術同意書を書いたりお医者さんがあけてくれたりします。

けれども、穴を開けることが即座に「人生変更」になるのは良く分かりません。

穴を開けるといっても、せいぜい1mmぐらいの穴一つ二つぐらいで人生が変わるなら、
日常生活で支障が無いくらいに怪我をしたとしても、人生変わってしまうに違い有りません。

確かに、医療行為とはいえ傷をつけるという実情。
治るまでの間、気をつけて生活しなければならないという不便さはありそうですが、
そのくらいの時間の気をつけ程度は、人生変更とはちょっと言えそうにはありません。
それだったら、転んで怪我をしたって人生変更です。

にも関わらず、穴を開けた後に「何か」があったら、「ピアスのせいだ」と思ってしまうこと。

人間何かあった場合、その直前に気にしていた事が原因だと思ってしまうことがあります。
「失敗しても、それの責任」「成功してもそれが原因」という不思議な責任転嫁。
程ほどにしておけば、それも楽しいのですがあんまり行き過ぎると考え物です。

そんな、良いことも悪いことも、全部そこへと向かわせてしまうピアスの不思議な吸引力。
むしろ、穴を開けたら人生が変わるというよりも、ピアスに何を求めてあけるかどうか?
というのが焦点の一つになるのではないか とかえるはちょっぴり思うのです。


でも、耳元で作業されるのは、なんだかちょっと怖いのです。
ああ、でも開けてみたい。
      
 
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