平成18年5月5日。
 
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涼しげな藤の花がふくやかになってきた。
そんな事を考えていたら、シャクヤクの時期になっていました。
混まない電車の時には、花瓶の花が増えているかえるです。
立ちつくして、こうなりたい。

「何を贈ればいいか分からない」
怒られているのか、呆れられているのか、甲乙つけがたいこの台詞。

入学、卒業、誕生日、はたまた季節の折りに、ささやかから大判振る舞いに至るまで、
贈り物をする機会になると、そんな言葉を多量に頂戴する事が増えました。

曰く、何が好きか分からない。
こだわりが有りそうだ、好きものは既に揃えてそう。
等々などなど。

幼少期は、畳2つ分の場所しか自分の荷物置き場が取れず、
大人になってからは、がしがし旅に出る為に最低限しか持てない。
持てる荷物が少ない相手に物を投げてみようと言うのは、確かに大変だろうなあと思います。

けれども、かえるだって現実物質社会に生きている身。
欲しい物だって小山ほどあります。
お財布との折り合いが大層宜しくないだけです。

新しい靴、新しい傘、目に沁みる赤い花

ちらりと考えただけでも、軽く10個は出てくる始末。
真剣に考えたらどうなるか分かりません。

にも関わらず、上記の言葉。


どうやら、かえるを見知っている人は、何かを勘違いしているに違いありません。
制約はありますが、物質は大好きです。
日々、暇さえあればぺけんで好きな物を叫び、
好きな物はぽんやりと手にいれずにひっそりと思って悦にいってばかりです。

ふにろふにろと考えていたのですが、
この考えだと、「既に持っていそう」「何が好きか分からない」
と言う条件はさっぱり当てはまりません。
と、小首をかしげてみたのですが。

が。



…ひっそりと、黙ってうっとり浸りきる…。
ここから上に7行目。
何だか違和感ありすぎです。



普通、余程親しかったり、好みや趣味が似ていたり、人様の行動思考のトレースが得意でも無い限り、
「これが好き」と確実に欲しがっているものを知らないと、
積極的に贈り物をしたいとは思いません。
にも関わらず、好きな物魅惑的な物に対し、商品名付きで愛を叫んだ記憶はさほど無く。

どうも、好きな物を積極的に話すのは、
片思いの人を知らせるにも似た、照れ臭さと恥ずかしさがつきまとってならず、
ひっそりと楽しみたいと、つい口をつぐんでしまうのです。


恋愛感情が高まれば高まるほど、ひっそりと思う癖。
おかげで、「これが欲しい」と替わりがみつからない固執する愛。

どう考えても、贈り物しにくい生き物だろうなとは思うのですが、
一度気に入るとひっそりとしつづける悪い癖、どうも改善の見込みは薄そうです。


せめてもう少し、ストライクゾーンが広がれば良いのですが、
こればかりは歳を取り、興味が広がるのをまつしかないようで。   

「何を贈ればいいか分からない。」
言われてしまって、相応です。
      
 
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