平成19年1月17日。
 
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小さいものは可愛らしいもの。
その可愛らしいものが美味しいものだとしたら、更に幸せ大倍増。
だからこそ、女性向けはむやみやたらと小さいものが多いのだと思うかえるです。
ああ、可愛い。

ある程度の大きさまでは、お抹茶のお茶請けになるのが相当。
けれども、ある程度の小ささになると、煎茶や玉露にしか合わせられなくなる。

そんな親指の先ぐらいのお菓子を、色々みっちり詰め込んであるのが
龜末廣の京のよすが。


以前、「偉く美味しいけれども、本店でしか扱っていない」と教えていただき、
暇を作って京都まで足を伸ばそうと思っていたのですが、そういう時だけ時間が無く。

駄目もとで電話でお取り寄せをお願いして見たところ、快くお引き受けしていただいたので、
調子にのって幾つかお願いしてしまいました。





別名四畳半とも呼ばれる箱の形状に、みっちりと入れられたお菓子。

郵便で運ばれてきても、びくともしないみっちり具合と、
落ち着いた色の可愛らしさに思わず幾つかつまんでしまい、
その美味しさにうっとりすることしばし。
また、後でこっそりと再度一つづつ口に入れてしまうほどの、ほのかな甘さと美味しさでした。

特に牛皮でくるまれた柿あんの美味さといったら、そこら辺の柿あんとは太刀打ちできないほど。
程よい甘さとかき独特の香りとざらつきの食感が、感動するほどの一品でした。
四畳半分、全部それでも良いくらいの美味しさの癖に、煎茶によし、中国茶によしの
相性の高さも魅力でした。
また食べたいと痛切に思わせる美味しいお菓子の箱、一箱でした。

そんな事を言っていても、「しょせんただのお菓子」と言われてしまえばそれまでです。

けれども、ほかに出店してくれなかったり、紹介のみでの販売のお菓子というのは、
その位の高そうな評価とは対照的に、外見の華やかさが足りないことが殆どです。

お陰で、「偉そうに」といわれてしまう品になってしまうことが多いのですが、
彼らだって、出店するほど職人が暇でなかったり、お店に来る人全員に販売できるほど
品数が無かったりする理由があるのではないかと、最近思うようになりました。

昔から長く取り扱われている というのはもちろんのこと、
一口目は感動するほど美味しいという訳では無いのに、すぐに空になるほど後を引く美味さであったり、
どの時間でも、どのお茶と組み合わしても、するりと品の良い顔をして上手く調和してくれたり、
機嫌の悪い人を、機嫌よく送り出せる柔らかな香りだったりするものが、必ずあるものなのです。

賞味期限が1ヶ月ほどと長く、いつでもお茶請けにだせ、なおかつ人を選ばない美味しさ。
ただし、手にいれるのは非常に大変。

お菓子だとおもうと、なんとなく偉そうに構えられている気概がありますが、
これが人だとするのであれば、ずいぶんと格好の良い人だなぁと思うのです。


いつでも綺麗で、誰と一緒に居ても気持ちよく過ごせてもらえる。
なかなか知り合いになるのは難しかったり、一見でよさが分かるわけではないけれど、
付き合っていくほどに良い人だと思ってもらえる そういう立ち居振る舞い。

何十年、下手を打てば何百年と続いているお菓子と、せいぜい80年しか生きない人の人生。
一回一回が真剣勝負のお菓子にはさっぱり勝てる気がしませんが、
後60年ぐらい生きていれば、そのうち気の抜けたお菓子ぐらいの立ち居振る舞いにはなれるかも。


と、お茶の師匠を見ていると思うのです。


どう見られているかを意識する、所作を丁寧に行う。
一回きりで飽きられる派手さより、そのうちはっとする地味な綺麗さという方が、
人生、長い目で見るとお買い得な気がしてたまりません。


お菓子一つでも、人生を。
最近、ようやっと言われている言葉がわかってきた気がいたします。


多分。
      
 
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