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入手困難かつ、美味と誉れ高いケーキがワンホール。
偶然それが手に入ったなら、一体どうするか?
美味しいと知っているケーキを手にした瞬間に溢れるあの幸せ感。
いっそ全部手に入れたいと、こっそり独り占めをしようと試みるも、
それでは、美味しいと言い合える人が居ないことに気付き、
しおしおと諦めて、それでも三分の1程切り取ってかえるの懐に。
残りの半分は、前々から好きと言っている人へお裾分けの準備をしつつ、
喜んで貰えると良いなと、苦手な味でないと良いなぁと、わくわくと不安を混ぜたかのような
ドキドキした気持ちになっていく。
残りは、今日お会いする方へのお茶請けとして、大事に大事に切り分ける。
来られるお客さんの数が多ければ、かえるの分を持ち出しても一緒に幸せになってもらいたい。
本当に美味しいと思ったので、皆で美味しいと言いたいし、
それを言い合えるのであれば、独り占めしてお腹を苦しくさせるよりも、ずっといい。
もし、その後でもかえるの分が残っているのであれば、
ちゃんといつもと変わらず美味しいケーキかどうか、誰が一番気に入ってくれたかを確認して、
味見終了。
幸せは独り占めするよりも、皆で分けた方が質は上がる。
美味しい物を戴くなら、お茶もそれにあわせて、各々の大好きな物を用意しようと走ったり、
茶器の手入れをしたりと、一、二手間をかけた方が、「美味しかった」は残るもの。
幸せな事は出来るだけ皆で共有して、幸せだったねと言いたいし、
悲しい事は出来るだけ軽く軽く笑える話にして伝えたい。
嫌な事は、我慢したら何とかなるのであれば我慢してしまうし、
辛い事は終わった後に、自分が信頼している人にだけ分かって貰えばそれでいい。
ちょっと生きにくいと言われがちなかえるの特徴の色々ですが、最も顕著な特徴をあげるとすれば、
己が好きな物すらも、皆で分けようとする癖に尽きる気がしてたまりません。
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「私」が苦手だからこそ、一人称を「かえる」にしていた過去にようやく行き当たり、
毎回書くたびに悶え苦しんでいるかえるです。
さっぱり反応が無いので、更新頻度が上がるというのは良いなぁと使ってしまっていますが、
普段と違う考えで書いているので、更新するたびにドキドキしてたまりません。
本来提出している文章の指定は、「作文」。
けれども、「私は、〜です。」という紋切り型で書くのは非常に苦手なので、
ぎりぎりで作文ぽい体裁で提出しつづけています。
怒られるとしたら、そろそろです。
うひょぅ。
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