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丁寧に書いてみようとおもっていたら、見事に1か月たっておりました。
あんまり寝かしてしまうと、あっさりといなくなってしまう日記達です。
もうちょっと捕獲したい。
悪口でいいから、もう一度会いたい。
お葬式に行くたびに、ちりちりと切なく思うものなのですが、
中には、「いいから、ちょっと出てこい」ということも、あったりしました。
「あとはよろしく」と押しつけられた、さまざまなお片付け。
亡くなるにあたって、様々な片付けをしていった女傑でしたが、
それでも、片付けしきれないものの対応というものがありました。
書庫を持っているくらい、系統だった本を所有していた方なので、
文庫を作ってくれる場所を探しては、贈与という形で押し付け逃亡。
家屋敷のすべてを保存できればよいのですが、流石に力が及ばないので、
一番大切だろうなぁと思った家具は、実家へ送ってそっとしまって。
笑えばよいのか、苦笑すればよいのか、とりあえず怒ってみればよいのかの判断は、
時間がないので、後回しにしてのお片付け(他人の)でした。
夏の暑い時期から、紅葉も落ちるというこの時期に、ようやく一段落ついた人生のお片付けですが、
ほっとしたその晩に、本人に夢枕に立ってもらえるという貴重な経験をしました。
いつもと変わらない落ち着いた着物で、けらけらと笑っては何かを話しかけている姿。
風が強くて殆ど聞き取れなかったのですが、それでも、いつもと同じ笑顔は、
どうやらあっちでも上手くやれていそうだと、こちらが安心できる笑顔でした。
生きている間に、運よくご縁が出来てご一緒できて。
運悪く先立たれてしまいましたが、人生のお片付けにも参加が出来て。
どうせ、遺品をいただけるのであれば、いっそその生き方や文才を
ちょいとわけてくれたらよいのになぁと、贅沢な願いすらも思いつけて。
お葬式に行くたびに、何度も念じていた夢枕ですが、
こうして初めて立たれてみると、相手が満足できるぐらいきちんと出来たのかな?
と、しみじみすることができました。
死を知ってからの、喪の期間。
やはり、これら一連の作業は残された我々の為の時間であると、切なく思った半年でした。
あまり、慣れるものでもありません。
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