平成24年8月26日。
 
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8月4週。

パフェでした。

小さいころに「辛い時にはパフェ」と昔ながらの喫茶店に連れ込まれることがよくありました。
しかも、わりと頻繁でした。
大層、謎でございました。

「辛い時」は大体身も心も辛いわけですし、そんな時に「幸せの象徴」の生クリーム山もりパフェ
なんぞ、見たくもないのでは? というのが理由でした。

けれども、パフェなんです。
家の中で喧嘩があれば連れて行かれ、何やらがあれば連れて行かれ、かえるの前に小さなパフェ、
自分の前に一番大きなパフェを置いては淡々と食べる繰り返しです。

「辛い理由はこれである」という理由が分かるパフェは数回ぐらいでしたが、
人間、何回もあると何かがあるとパフェだということは分かりましたが、
いかんせん、「辛い時は辛い」派と「辛い時には幸せ」派は相容れません。

「よく食べるなー」という状況への違和感と、胃袋への憧憬なる感想を持ったまま、
無事オタマジャクシから脱出しました。




が、最近、唐突に「辛い時にはパフェ」と、「辛い時には幸せ」派の意味が理解できました。
あれは、パフェではないといけないのです。
ケーキやパンケーキやストロベリーサンデーあたりでは妥協点なのです。
まいてや、甘いもの食べ放題キャンペーンではだめなのです。
パフェです。

作るのにはどう考えても手間な上、生クリームやらアイスクリームやら、ちょっとお高めフルーツやらが、
魅惑チョコレートシロップがくるりと回っているパフェです。
その上、パフェと名乗る以上高さのある入れ物に入っているので見栄えもばっちり高いです。
あれをしずしずともってきてもらえて、かつ、全部自分の物! というのが良いのです。

この場合、例え後でお腹が痛くなっても食べきらないといけません。
幸せは全部お腹に詰め込むべきなのです。
という意味のパフェなのです。

そのような「幸せ一杯、一切の不幸せを受けいる隙間もありません!」というパフェを
食べてしまうことで、辛い時を乗り越えるというのは、小さい生き物には理解出来がたい行為で当然でした。

経験と時間軸を理解する思考角度が足りなかったからです。

小さかろうが大きかろうが、辛い経験はつらいものです。
けれども、その辛い経験が割合しょっちゅうくるか?それとも人生一度や二度ぐらいのものなのか、
今まで経験してきたことから大きいのか、それともしばらくへこたれていて良いのか?
という経験は、圧倒的に大人の勝ちです。

「辛いことがあったので、しばらくその中に浸っておく」のか、
「辛いことがあったが、それに浸ってはいられない(ほかの事もあるし)」の違いです。

人生くたびれると、前者の方が多くなりますが、後者の方がかなりの前向きリアクションです。


ご褒美にも、辛い時の埋め合わせにも、更には手土産で人間関係構築にも、ちょっとしたワイロにも
なりうる甘いもの。

その瞬間にしか食べられず、持ち帰りは出来ず、自分の為だけでかつ、他人にかなりの手間をかける
食べ物という意味においては、パフェはかなりの重要アイテムなのです。


そんなパフェ食べつつ、大人は上手く折り合いつけていくのだなぁと、
ようやくその心境に至ったかえる、夏の終わりでございました。


まる!
      
 
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