平成25年8月25日。
 
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8月4週。

身をもった学習が終わったと思う頃には、夏休みは終わっておりました。



今回、とにかく気をつけていた事は「おばあちゃまの好きな事をさせる」の一つに集約されます。
「腰が痛い」と言えば腰をつっつき、
「死んじゃうの」と言えば「お葬式の準備がかかるから待ってね」などとごまかし、
体の欲求に従えるようにひたすら環境を整えました。

おばあちゃまの欲求を反比例するように、かえるはそれはそれは大変にくたびれました。
作業量があるわけではないのですが、気をもみ続けました。

この勢いで野菜でも揉み続けたならば、浅漬けも古漬けになる程だと、
自分自身で思う程のもみっぷりだったからです。


しかし、ここで気付くべきでした。


あんまりに具合が悪いのであれば、人間それは口にする気力などありません。
事実、気を失う寸前などは「倒れます」と口にしたい頃には口が回らず手も動かせない状態が
過去に何度もありました。

身体の不調を口に出来る時というのは、その山の手前か越えた後ぐらいなものです。(かえる体調より)

実体験としての知識はありました。
しかし、目の前でぐったりした人が居た場合には、瞬間的にけし飛びました。
情に流され放題決定の瞬間だったと思います。

帰宅して半日ほどの「もう死んじゃう」の時にははらはらし、
「食べて死ぬ」と言った時には、「食べられるぐらいなら大丈夫だろう!」と大喜びで支度をし、
「美味しいものを食べてから死ぬ」と進化をとげた時には、「確かに美味しい方が何事も良いんだろう」と、
あちこちのお店に予約の電話も入れました。

事実、ご飯が食べられるようになってからの回復ぶりは目をみはるものがありました。
やはり、人間ご飯食べているうちは死にません。
内臓動かすのは非常に重要です。
良かったよかった。今回は何とか窮地を凌いだ。万歳。


などと、真剣に思っておりました。
別角度の真実を聞くまでは。

「救急搬送されるほどの具合の悪さ」というのは、救急車や搬送先で検査される程です。

この場合、「物凄く具合が悪い」「本人が具合が悪いと言っている」という主観ではなく、
血圧や脳の状態、血の具合などが具体的数値と共に白日のもとにさらされて、客観的に判断可能となります。


主観どころではなく、客体をもっての判断です。
それを聞きに行っていた、かえる家の家族の一部も大変冷静でした。


「死ぬ死ぬ詐欺」を働くおばあちゃまの耳元で、そっと「全て平常値だからまだ死ねないよ」と説得し、
「美味しいものを食べたら元気になるよ」などとそそのかしてはご飯を食べさせていた事が明るみにでました。


かえるの心配がまる損であったことが、明るみに出た瞬間です。


心配することは大変よろしい事です。
心の奥底から、相手に何かが出来ないものか?と考え、行動することができます。

しかし、あまりに心配するあまりに相手の言葉だけを重要視しすぎて、
相手のためにならない事もあるのだなぁと、身をもって学習した夏休み。


主観的対応と、客観的対応、この両者とバランスが何より大切である。
それがしみじみ分かった1か月でした。


プロ凄い!
      
 
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