平成25年12月29日。
 
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12月5週

お節が好きな子どもでした。


今でこそ「お節贅沢!」「高級なものが入っている!」というイメージが強いお節ですが、
かえるがおたまじゃくをやっていた頃には、「冷たいものの寄せ集め」という印象が強い物でした。

三が日間は同じもの食べなくてはならないし、苦手なものばかり残っていくし、
なんか固いし、冷たいし、ごりごりとしているし。
周囲には、手間暇かけているのに割には不評でございました。


しかし、普段は面倒なので滅多に加工しないものも沢山出てきます。
黒豆はぴかぴかになるまで弱火で煮ますし、酢ごぼうのお酢は贅沢し放題、
高野豆腐はどーんと山盛りですし、くわいは煮しめても素揚げにしても美味しいものです。
里芋やキンカンに至っては、贅沢の極みです。
普段食べられないほど煮込みます。パラダイスです。極楽浄土でした。


端からちまちまと食べつくしては、さんざん「高いのに!」と怒られた事ばかり思い出します。
美味しゅうございました。

めったに食べられない物を、手間暇の極みを尽くしては作られるお節。
鍋釜やかんだってフル稼働です。


「お正月だから」と、贅沢出来る数少ない機会。
今年もくわいを山盛りあげた隣に、ぎんなんだって入れちゃうもんね!いやっほーい!
と思いながら、年末年始にはおばあちゃまの所に行きました。

わくわくとお節の算段をご相談いたしました。


「もう年だから、作るのめんどくさいし、固いものばかりだから特にくわいとか嫌(意訳)」
と切り返されました。


家長、まさかの草の根、家庭からの文化の破壊の提案です。
がっかりです。

主にくわいの為に帰省したんです。くわいかえせ。


一瞬、あまりの食欲の満たされなさに絶望を覚えましたが、
確かに歯の弱くなる年長者にとって、お節の中身は厳しい側面があります。

かまぼこや数の子、伊達巻あたりは柔らかなものですが、
田作りなんか小魚をカリカリにした挙句に砂糖や蜂蜜かかってます。
出来あがりは柔らかですが、日が経つごとにカリッと歯や歯ぐきを攻撃するのが得意ですし、
酢の物系もお正月の冷たい台所の中、容赦なく知覚過敏を攻撃します。


子どもの頃は子どもだけに受けが悪いと思っておりましたが、
話を聞いてみれば、年長者にも十分評判がよろしくなさそうです。


仕方がありません。
昔と人間の平均年齢やら考慮対象が違うのです。
文化だってこうしてちょっとづつ変わっていくに違いありません。
現在、文化が動いていると思うしかありません。


とか思っておりました所、家長続けて言い放ちました。

「あ、でもお年玉はあげる。」


かえるがおたまじゃくしをやっていた頃は、お年玉はせいぜい義務教育かもう少し上ぐらいまででした。
それ以上は、小さなお子様から「ずるい!」「むしろよこせ!」とふんだくられていた気がします。


昨今はいい文化が育ちました。
都合が悪い所はがんがんと撲滅され、都合がよろしい所は上手く変化して生き延びていきます。
これも文化を享受する人間の都合です。


「昨今の文化は形骸化している」ともいわれますが、
文化だって、人の概念の成れの果てです。変化せざるをえないのです。


ありがたくいただきます。
家長万歳!文化万歳!


というわけで、お正月最初にやる事は既に決定いたしました。
スーパーが三が日を終了しだい、くわいとぎんなんを山盛り購入です。


無心で全部皮を剥き、一気に揚げ、塩掛けて食べる事だけを楽しみに、あと1週間ほど過ごします。




よいお年を!
      
 
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