5月1週。
ゴールデンウィークでした。
海や山やテーマパークやらはきっと大盛り上がりだろうと、
いつものように、おばあちゃまとお茶ばかりしている長期休暇でした。
お互いのひいきのお菓子を取り寄せて、庭ばかり見ながら昼間じゅうお茶を飲む。
太陽の光でくらくらする日の下で、ふわふわと飛ぶ蝶をみたり、
強風になって直角になっている藤の花の行方を見守っていたり、
お茶を取り替えたりしていると、そのうち昼が終わります。
そんな感じで進むお茶会です。
往々にして主題なんてものはなく、のったりゆったりと進みます。
植木の植え替えの予定だったり、お皿の欠けたの修理の件だったり、
かと思えば、戦中戦後のサッカリンで作った羊羹の味だったりと、
年代も距離もまったく関係ない、ごたまぜの話題ばかりです。
それは、話が横道にそれた時でした。
気に入った物は、スペアを購入した上、更に修繕して使うのが大好きなので、
かえるが着ているものは、大体が針が入った物です。
ボタンを換えたり、糸を違う色にしてみたり、裾を上げたり、
ちょっと穴が開いたぐらいなら、ちょこっと糸で縛れば修繕終了です。
そんな訳で、その時に着ていたカーディガンは、
昨日、綺麗に繕ったばかりのものでした。
細い細い毛糸で編んであるカーディガンを、細い糸でそーっと引っ掛けては繕って行く。
大変面倒な作業でしたが、根気よく繕ったおかげで、とても綺麗に直せました。
「裁縫も上手になれたものだ」と自画自賛したばかり。
誰かに自慢したい気持ちもありました。
というわけで、自慢しました。
お気に入りのカーディガンである事。
虫に食われてしまった事。
上手に繕えたので、また丁寧に着られる事。
だがしかし、かえるとおばあちゃまの間には「年代」の違いがありました。
いかに趣味嗜好が似ていても、年代による価値基準の差はかなりの物があるものです。
おばあちゃまには、こう聞こえました。
「大事(にしないといけない)カーディガンを、(飽食の時代の子が)繕ってまで着ている。」
おばあちゃまが若かった時は、戦争の時代、物が無い時でした。
「物さえあれば、もっとおしゃれが出来たのに」と、皆が思う時代でもありました。
それが戦後どころか平和かぶれの時代なのに、おしゃれをしない子がいるなんて!!
罰あたりを通り越しで罪である、ちょっと時代に謝るべきだ!そこにお座りなさい。
今まで見た事も無い早さで全力で財布をとりに行き、自身のお財布をかえるに押し付け、
「今すぐお買い物に行ってらっしゃい!」
というおばあちゃまの目は、それはもう本気でした。
もう対話でもって、理解の差を埋められるレベルではありませんでした。
反論は無意味です。
行動で意思を表明するのみでした。
自分が「当然」だと思っている事と、相手が「当然」だと思う事。
言葉や文面にすると、同じである事は滅多に無いと分かるのに、
会話となると、自分と相手の思う事を、つい一緒にしてしまうものであると、
実地でもって学習したゴールデンウィーク。
自分も、相手も好きな服。
百貨店は、何でも売っている所が素敵です。
けっか、おーらい!
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