7月1週。
大体、「何か」をやってます。
「年に一つは専門以外にチャレンジしましょう」という、
壮大な年間目標がある場所にいると、とにかくもう、常に皆で何かをやっています。
最初の数年は、ゆるい目標でした。
専門以外にだって、「実はこれもやってみたかった」という事は沢山あります。
お菓子の教室に通ってみたり、ネイルの検定取ってみたり、
専門とは違う、別の研究分野の入門編にも通ってみたりしました。
しかし、数年も経つとあらかた終わってしまうのです。
にも関わらず、相変わらず燦然と輝く「専門以外の事をやりましょう」の年間目標。
それでも、ここ数年までは何とか道を探して歩いておりましたが、
今年に来て、この先には二つの選択肢しか無い事に気がつきました。
1つ目は、自分の苦手な分野に手を出す。
2つ目は、今まで出した分野を深く、専門的に系統立てて学んでいく。
壁でした。
今まで能天気に暮らしている基盤となっていた年間目標が、
いきなり、凄い勢いで手のひらを返してきた状態です。。
すっごくしんどい。これしんどい。大変よろしくありません!!
一匹静かに苦しんでおりましたが、良く考えたら同僚も全員同じ苦しみにあえいでおりました。
どうやら、問題は全員共通のもの。
こうなったら、皆で相談して答えを出した方が楽そうです。
話し合いました。
諦めて、壁と対決する事となりました。
無い知恵絞ってみましたが、回避はもう殆ど無理だったので、
「どうやって対決するか」「毎日をどう過ごすか?」という事だけ、考えてみました。
朝起きてから、夜寝るまで。
睡眠時間を足したとしても、人間1日24時間しか無い事は厳然たる事実です。
それでは、その中で「生きるためにやる事」「社会的にやる事」「個人としてやる事」と、
3つのブロックに分けて、毎日を考えなおしてみる事にしました。
簡潔に説明すると、
「生きるためにやる事」は、
睡眠、食事、お風呂、病院に行くなど、さぼると死に直結する物事。
「社会的にやる事」は、
仕事に行く(通勤時間・資料読み込み時間等)、対人関係等、
さぼると、後々、自分の首を絞める物事。
「個人的にする事」は、
年間目標や読書、趣味等、さぼっても困らないように見えますが、
あんまりさぼると、ある日急に日常生活に影響が出る物事。
と、ざっくり定義してみました。
今回は、これらを一つ一つ必要な時間を割り出しては24時間に上手く入るように、
足したり引いたり、レゴブロックのように組み立ててみたのです。
(参考:生活分析的カウンセリング法の開発に関する研究 松原達哉 2009年)
が、出来ません。
仕事の時間を取れば取るほど、「生きるため」の雑事が隅に追いやられますし、
「生きるため」と、睡眠をとると、別の2つの割合がぎゅうぎゅうと文句を言いだします。
無理が通れば道理が引っ込むと言いますが、このブロックは各自自己主張が激しすぎて、
ちっとも引っこんでくれません。
それでも何とかそぎ落としてはねじりこみ、なんとか形にしてみたのですが、
見れば見るほど、どうも世の中からはだいぶ離れたスケジュールになっておりました。
何と、仕事が2割だけ。
これはまずいと周りを見渡してみたのですが、大体周囲も同じようなスケジュールになってます。
中には、睡眠時間を削ってでも遊びに行っている人もおりました。
今まで長い間、ずーっと疑問に思っていた事がありました。
どうして同僚達は、お昼休みに全力で何か読んでいるのだろうか?
休日にちっとも連絡が取れないのか。
あと、上司が全力で遊びに行って仕事してくれないのか。
そもそも、この年間目標、多分仕事になるんじゃないのか。
全員が自分で決めて、自主的に入っている蟻地獄。
当人的には苦しいとは思うのですが、傍から見ると大変に楽しそうに見えるのだぁと、
真実感じた本日でした。
最近、色々分かってきました。
まる!
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