2つの「常識」(2002年8月17日より)
 
ヒトが2人居れば、やっぱりどんな言葉でも「言葉の前提条件」というモノが
違うわけで、片方の方が何気なく使っている言葉であっても、もしかしたら
言われた方は「本気で腹が立つ」ぐらい苦手な言葉だったりする事があると思うのです。

誰でも持っている「気持ちの前提条件」。
でも、今まで生きてきた環境は皆違うと頭ではわかっていても、
全く同じ環境で生きてきた兄弟でさえ、考え方が違うと分かっていても、
つい「自分の前提条件」だけで「相手の言葉」を測ってしまいがちですし、
そして、相手も「自分の前提条件」だけで「言われた言葉」を測りがちです。

もし、それが「好きではない言葉」だったら、けして相容れない「常識」という
一見もっともらしい、けど、住んでいる・考え方によっては全くかわってしまう
「自分の周りではこれが正しいので、貴方も従ったほうが良いと思うよ」という
理論で、周囲を全力で決め付けたらどうでしょうか?

「そんな考えもある」「けど、こんな考えもある」けど、最終的に決めるのは
それに直面している人だけで。
そして、自分が今住んでいる環境とその周辺では「何が一般的か?」という事と
自分が考えている事とを擦りあわすことが「常識」になるのではないかなぁ
とかえるは思っています。

ちなみに、どうしても「擦り合わせ」が出来ない場合もありまして、
その場合、「新しい理論が出来ている・・・・」と途方にくれるか、
「全力でため息をついた後、ついていけないなぁと年をとった自分を省みる」
か、「全力でその理論を潰しにかかるか」の3つぐらいなのです。

かえる的には、「新しい理論がある・・・。」と、
「若い方だなぁ・・・。」と見るのが何となく好みです。

戦っても仕方ないときは、相手の体力切れを狙わないと
無駄にこころだけが疲弊します。
もともと違いすぎて当たり前の「心の、気持ちの前提条件」。
出来るだけ擦りあわす余裕がある人のほうが、かえるは大人だなぁと
毎回思います。
      
 
 

Banner