「沢山の失恋」(2002年5月21日より)
 
かえるの言い出す事は大概唐突で、しかも言いっぱなしなのですが、
きちんと失恋しないと、いつまでもずるずると引きずるのでは?と思うのです。
それは、同性であっても、異性であっても、モノであっても、出来事であっても
一緒だと思うのです。

恋愛の失恋は、「きちんと振られた」と言う事がある意味分かりやすいですし、
沢山悲しんで、嘆いてしょげしょげとする事で、時間をかけて自分を見なおす事
が出来ます。
上手くいけば、自分をさらに磨くことが出来ます。

モノの失恋は、大事なものを割ってしまったとか、
欲しくて仕方が無いのに、どうしてもお家にお迎えするにはそぐわない、自分に
はそぐわないのでは?
と悩んでいるうちに、他の方に買われてしまったなどがあげられると思います。
バーゲンなんかにいたっては、数秒で終了する恋愛(執着)もありそうです。
それこそ失恋の大バーゲンです。

けれども出来事の失恋は、目で確認することは出来そうにありません。
恋愛の失恋のように、電話番号を消去したり、色々な人に話を聞いてもらったり
、
モノの失恋の失恋のように、欲しかったモノや大事なモノが目の前から消えてし
まったり
という事はがないからです。

ただ、「ああ、○○だったなー」と思いつづけるだけです。
もし、ああだったらあの後どうなったんだろう・・。
かりに、あの場面でやっておけば今こんなに苦しまなくてもよかったのになーっ
と
たらたらと考えつづけるような失恋なのです。

その上、この出来事の失恋、失恋もさせてもらえないという状況下になることが
あります。
恋愛の失恋やモノの失恋は、新しい恋が見つかったり、それよりも良いものを見
つけると薄れることが
多々あるといって、周りの人たちも「仕方がないねー。」と言ってくれますが、
出来事の失恋は周りがなかなかさせてくれません。

失恋の中で1番本人が傷付くと思うからです。

もし、それをやってだめだった場合、どんなにか傷つくだろうか。
その傷はどんなにか深いだろうか。
ならば、出来るだけそのような傷は作らないほうが(作らせないほうが)良いの
ではないだろうか?
と周りはつい思ってしまい、さわさわと柔らかく失恋しない方向に持っていくの
です。

が、もし運良く失恋せず、だらだらと失恋するちょっと前までの状態のまま生き
ていたらどうなるでしょう?
かえるはある意味、それが1番つらいと思います。

失恋させても貰えず、かといって忘れることも出来ず、周りは良いことをしたと
思われている状態。
いっそ、あの時傷つけたら・・・失恋できたらと、だんだん周りが悪いのでは?
と思っていく感覚・・・。

もしその人が「そうしたい」と思っている事が、とてつもなく傷ついてしまう事
であっても、
傷がついた時に、いかに悩むか・苦しむかでその苦痛の分が後で幸せになりうる
こともあるのは?
とかえるは思うのです。
失恋の苦味は絶対値みたいなものだと、苦しんだ分後で楽チンになるとかえるは
思うのです。

それは誰かが不憫と思っても変われないもので、なおかつ本人にとっても必要な
ものでは?
とかえるは思います。

決別しないと諦められない、失敗しないと失敗する方法は分からないと、かえる
はしみじみ思うのです。
      
 
 

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