己のモノサシ(2002年8月13日より)
 
時々、そうとても時々、かえるは自身が無力だなぁということを痛感します。

流石に常にそんな後ろ向きに生きていると、かえる自身が切なくなってしまうので
出来るだけ元気でいるように心がけているのですが、
やっぱり「人の辛いこころ」というのを聞けば聞くほど、
そしてそれが辛いものであればあるほど。かえるは無力な存在であるのだなぁと
痛感させられるのです。

かえるというネットの世界では10cmぐらいの小さい存在が、
「ヒト」という平均で1メートル後半はあるような存在に、
影響を与えられるようなモノだとは最初から思っていなくても、
「もしかしたら・・・・、ちょっとぐらいは」と、
心のバンソウコウ程度にはなれるかなぁ・・・と、ちょっぴり奢りたかぶりたい時があって。

奢り高ぶらないように、そして必要以上に否定しないように、
かえるが大事だと思っているヒトが抱えている「辛いこころ」というものが
解消される事を、心から願おうと思って、思いつづけて。

その「辛いこころ」というものが解消されたときのヒトの顔というものを
かえる自身が見たい、それを見て幸せになりたいという我侭から、
かえるはそう思うのです。

幸せになったヒトを見るのが、かえるの幸せ。

そう思いつづけて、ヒトの「辛いこころ」というものをかえるは聞いてきたつもりで、
出来るだけ一緒に、出来るだけ同じ側面からその「辛いこころ」というものを見て、
けれども、まったく同じ側面からモノゴトを見る事も、モノゴトを悩む事も出来くて、
かえるはかえるの生きてきた経験でしか、その「辛いこころ」というモノを理解できなくて。

それはごく当たり前のことなのですが、それを知れば知るほど、
聴けば聴くほど、その「辛いこころ」というものに対して無力だと思って、悩むのです。

悩む必要の無いような、その「無力感」というものに。

しかし、この「無力感」というものは、ヒトの「辛いこころ」というものを
かえる自身が知る事によって発生する、「かえる自身の辛いこころ」なのでは?
と思うようになりました。

ヒトの話を聞いても、かえる自身の体験でも、かえるが苦しむのは
かえるが抱えているかえるの弱さの一ヶ所のみ。

けれどもこの「弱さ」というモノが無ければ、かえるは「かえる自身の辛さ」も、
「ヒトの辛いこころ」というモノも理解できず、
一生一匹で塔に住むしか出来なかったのでは?と思うのです。
長い髪も持たず、綺麗な声も持たず、誰かに助けを呼ぶことも出来きないかえる。

「無力感」というものは、もしかしたらそれ自体が助けになるのでは?とふと思います。

その一匹というものが、切ないと知らないのであれば、悲しいと思わないのであれば
自分からその塔から逃げ出す事も出来ず、そんな出来るともきっと思わず・・・。

かえるは一人ぼっちは嫌です。
もしかしたら、その「一人ぼっちになりたくない」という気持ちから
「無力感」というものは出てくるのかなぁ?と思うのです。

ヒトがヒトであるがゆえの、認めたくない感情。

けれども、ヒトであるがゆえの感情。

だとすれば、その「無力感」というものを抱えながらも歩けるヒトというのが
大人のかなぁと、かえるは思います。
      
 
 

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