9月14日


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○
皆さんはじめまして。
かえる(の着ぐるみ)中身こと、ケロリンです。
出来たら、引いたり、ブラウザのバックを押したりせずに、最後まで付き合ってください。

ケロリン、常々思っていたのです。
ヒトなら常々思う「暗い部分」それだけを上手く隠しおおせて人生わたっていくには、
かえるはちょっとほわほわしすぎです。
というわけで、ケロリンはかえるのだーくな部分担当としてここに生まれてきました。
嫌な役回りという奴です。

なので、ケロリンはかえるが普段しない事。
心理学だけでモノをいう・毒を吐く。という事をだくだくとしてみたいと思います。
かえるの柔らかい絵日記を見てみたかったのに・・・という方、大丈夫です。
所詮は同じ口調でしかモノはいえませんし、
もともとこれは5万ヒット記念の企画です。
3日で、ダークモードは終わります。
ケロリンになったとはいえ、所詮根性なしなあたりは変わりません。

というわけで、1夜目の今日。
唐突に「青年期の危機(アイデンテイィティ・クライシス)」という専門用語全力の
良く分からないものを、ケロリン、喋ってみたいと思います。
     
 
   
   
   
   
   
心理用語として、たびたびテレビ・雑誌等で耳にする「青年期」という言葉。
言葉の定義だけで言えば、人間の発達段階というモノを心理の学者が
好き勝手絶頂に決めた中の一つで、12頃〜最大32歳までの年齢において、
「自分とは何か?」という事をひたすらねちねちと考える時期の事を指します。

中学受験・高校受験・大学受験・就職・就職先での仕事等で
ひたすら挫折と他人からの評価というものを繰り返し、
で、結局自分ってなんだ?という事を考える時期です。

が、自分なんて、どんなに根性入れて考えても、所詮自分。

受験でこけようが、浪人しようが、留年しようが、さらには就職こけようが
その事事態は「自分」というモノに対しては全く影響が無く、
自分にとって「それ」は価値があることなのか?という事から影響され、
それは社会的に如何なものなのか?という事と「自分」という間の摩擦にやられ、
べろべろになりつつも、「結局自分はなんだったの?なんなの?」
という事を考える時期だと思っていただければ幸いです。

では、そんな時に「これが出来る自分はコレだ」という、
よく分からない自分を持っていたとします。
本が好きなヒトは、「沢山本を読んでいる自分」が自分だと、
勉強しか友達が居ないヒトは、「勉強が出来る」もしくは、
「成績の良い自分」というのが自分だと思い込んでいるという事です。
それ以外の自分は認めないという嫌な面でもあります。

こんな事を言うと、自分はこんなの持っていないと言いますが、そんなことはありません。
人間、誰でも一つぐらいはもっています。

PCに向かっているヒトが、起動スイッチすら押せないヒトを心の中で馬鹿にしている状態があれば、
「こいつよりPCが出来るという自分」という自分をもっていることにもなります。

一つくらいは持っていないと、別の意味でお前まずいんじゃ・・・という事になりますし、
あんまりまずいと、「誰よりもまずい自分」という自分という救い様のない自分を持っている事になります。

まぁ、そんなめんどくさい事を話していてもつまりませんから、
さくさく次に行ってみたいと思います。
ケロリン、そんなめんどくさいの相手にしたくもありません。

で、そんな「○○が出来る自分」というのが、実社会でも上手く立ち回り
それこそ、甲子園にでてしまうくらいの腕前だったり、
天童として有名な子どもとして崇め奉られていたらどうでしょう?

本人はとってもうれしいでしょう。
それが、本人にとっての「理想の自分」というのと一緒であれば。

一緒でなければ、「これは自分でない」と足掻きつづけるだけですし、
一緒であれば、「もっと良い自分になろう」と、周りから見たら「辞めとけば」というくらい
むちゃくちゃにそれに打ち込んだりして、友達無くしたりします。
なんであっても、ほどほどが1番です。

で、友達なくしてみたり、周囲からの期待にこたえる自分というのだけで生きていった場合、
残念ながらずーっとその「自分」というのだけでは生きていく事は出来ません。
一生ホームランを打ち続けられる奴が居ないのと一緒です。
大概、どこかでこけます。
専門用語で、挫折という奴です。

してこの挫折、「理想の自分・周囲の期待・友達のいない度」というものが
高ければ高いほど、挫折した本人は大挫折だと思い込み、心理的に大ダメージを受けます。

自分はなんだったんだ・・・あんなに頑張ったのに・・・と悲劇のヒロイン、
もしくはヒーローと化し周囲を全力で困らせます。

ダメージによっては、困らすだけでは飽き足らず、
全力で「自分なんか・・・。」と鬱と化したり、
「もう知らない・・・。」と無気力になったり、「新しい自分」と称して
社会的に不適合そうなものに手をだしたりもします。
更には、「それまでの自分」という自己のプライドは山よりも高く、
そんなやさぐれている姿なんか見せるもんかという方もいらっしゃったりと、
人間色々大変ですが、見ている方は良い迷惑です。

こうなると手のつけようがありません。
遠巻きに「あーあ。」と言うだけの方が、見ている側も痛くありません。
迂闊に「大丈夫だよ」とか偽善者ぶると、さらに痛い目にあわされますし、
第一、痛い目にあってもそのヒトが大事という「友達」が少ない人たちです。
大概がほったらかしです。


まぁ、落ち込むだけ落ち込まないと復活は不可能なので、遠巻きに見つつ、
復活しそうになったときにだけ、手を出してみるというのが一番賢い方法かもしれません。

が、完全に周囲に責任を押し付け、「こんなに頑張ったのに認めてくれないじゃないか」と
現実逃避をしなくてはいけないほどの挫折を味わった方、「じぶん」というものを打ち砕かれた人間は、
もう一度「仮面をかぶりつつも仮面をかぶっていない自分」というものを認めてもらおうとして
インターネットという仮想現実にもぐる方もいらっしゃるのではいでしょうか?

しかし、いくら仮想現実ととはいえ、所詮生の人間のあつまりです。
迂闊な事を言えば、集団で叩かれますし、文才が無ければ何いっているの?ということではねられます。


専門用語で言うと、「幼児期の徒党集団よもう一度。」なのですが、やはり専門用語だけに実感がわきません。

もう一度、人間関係というものを作る技能の修復活動とでももうせばよろしいでしょうか?
別にそれが悪いとは全然思いませんが、直接あっての人間関係の形成よりも、顔の表情、声等が見えない分、
低情報となり、文章だけのやりとりというものからはじめるというのは、
ある種リハビリとなりうるのかもしれません。
難しい問題は、まず簡単な問題からやった方が苦手意識をもたなくて良いのと一緒です。

かえるだって表立って毒が言えないからこそ、ケロリンに毒言わせるという
微妙にせこっちぃ方法をとっているわけですし。
まぁ、ケロリン的にはいい迷惑ですが。

しかし、何でか良く分かりませんが、一番身近にある「自分自身」というものは
自分が悩んで苦しんで、どうしようもなく他人を傷つけたり、更には傷つけられたりしなくては
なかなか「自分は自分である」という事が分からないみたいです。

最初から分かるものであれば、いくら机上の空論である「心理学」というものであっても
こんなに150年ぐらいねちねち考えなくても済むはずです。

ということは、やっぱりヒトというのは、隣にある「答え」というモノを探す為には
色々考え、自分を深く考えなくてはいけないというちょっと愚かしいモノなのかもしれません。

けれども、それがわかった時というのは、やはり「ヒト」としていろいろな経験を積んだという
証であると同時に、年齢だけ食った大人でない、きちんと「自分」という器・自分自身を知っている
大人になれるのではないでしょうか?

ケロリンはどう足掻いたって、描き手の気が向かなければ大人の外見にも、
書き手が成長しなくては、大人の精神状態にもなれません。
かきてに振り回されっぱなしで楽しくないことこの上ないです。

まぁ、こんな事をケロリンに言わせるあたり、まだまだ書き手たちは青年期まっさかりです。
そんな事を露骨にばらしているあたり、やっぱり底が浅いのでは?とケロリンはケロリン自身を
そう分析します。

貴方の発達段階、如何です?
そして、「貴方」は一体なんなんです?
     
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