9月25日


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ようやく第4夜、最終夜となりました。
毎日毎日よくも更新するなぁと、ケロリン自分でびっくりです。
まぁ、明日からは通常更新に切り替わるので、明日から1年くらいぐったりしてよいというのは
大層楽チンでよい事です。

という事で、第3夜では主に「インターネットで個人サイトという療法行為を働いてみる」という事の
利点を大げさに偉そうげにしゃべってみましたが、利点があると言う事は当然欠点も出てきます。

その為、最終夜の4夜目は、「インターネットで個人サイトという療法行為を働く欠点」を
全力で喋ってみたいと思います。
     
 
 
 
 
 
 
と言うわけで、3夜では「インターネットって素晴らしい」「個人サイトを運営するって素晴らしい」
と、何か新手の宗教家のように褒めちぎってみましたが、
本当に、全てが素晴らしくなるのであれば、サイト運営者はみんな人格者という
素晴らしいのだか、気持ちが悪いのだか良く分からない状況になっています。

ケロリン、そんなのまっぴらごめんです。
そんな統制の取れている状態なんて、何か洗脳でもない限りつまらないからです。

インターネットという仮想現実上でも、現実でも、問題があるから興味深いのです。
…ここでケロリンの持論を展開しても仕方がありませんが。

と、極論「何処であっても欠点や変なものは居る」というのは当たり前なのですが、
インターネットで自分を考え直すなんて事をしていると、結構な危険が出てきます。

理由は、「仮想現実」であるからです。

何故なら、「仮想現実」というものは限りなく「現実」に近い場所です。
画面の向うにも人が居ます。
なので、何か発言をしてみたり、意見を受け取ったりという事は、
すべて「人間」が関与していると、人は考えがちです。

が、この「考え」というものはある意味正解であり、ある意味とてつもない誤解を作る恐れがあります。

先(3夜)でも言いましたが、インターネットというものは「匿名性」と「自分が必要の無い意見は聞かなくてよい」
という事がクローズアップされがちな媒体です。

なので、「自分にとって都合の悪い意見」は「匿名性」という事で責任が無いので無視。
けれども、「匿名性」があったとしても、「人間」が関与しているから、「仮想現実の成功」は
「現実でも成功」であると錯覚してしまいがちなのです。

でも、ちょっと考えてみてください。

貴方は現在インターネット上ではとても有名(だと自分で思って居るでも可)です。
周囲は「偉い人だ・凄い人だ」と言ってくれますし、そういうお手紙も貰っています。
また、インターネット上で知り合った人たちと集まると、いつもちやほやしてもらえます。

それは、とても気持ちが良い事です。
それもそのはず、「自己を認めてもらっている・賞賛してもらっている」というのは
マズローという心理屋さんの「欲求段階説」によると、かなり高位の位置に置かれ、
人間はその欲求のために色々な事をするとすら言われているくらいの快感なのです。

(ちなみにマズローの欲求段階説では、
 1:生理的安全 2:安全と安定 3:所属と愛情 4:承認と自尊心 5:自己実現
 の順に快感が大きくなります。
 とっても知りたいという奇特な方は、きちんと専門書を読まれるのをお勧めします)


が、「スイッチ」を切ってしまった時、インターネットとは関係ない人間関係・仕事関係
に入ったとき、この「承認と自尊心」という快感、皆から認められている・賞賛されている
という快感はいきなりなくなります。

流石に世の中全てが、「インターネット」の「貴方」と言うものを知っているわけではないですし、
インターネットで有名であるという事を知っていたとしても、それを重要視しない人も、
世の中に入るからです。

この事実は、ごく当たり前、自然な事です。

でも、「皆にちやほやされている自分」と「ごく少数にしか相手にされない自分」
という「仮想現実」と「現実」というのを考えてしまうと、

なんだか、現実の自分が嫌いになってしまいそうです。

誰だって、ちやほやされているほうが居心地が良いものです。
そんな事を繰り返し考え始めてしまったりすると、そのうち「現実でやらなくてはいけないこと」
(人付き合い・仕事に行く・学校に行く・家を手伝う等)をしなくなってしまったり、
減ってしまったりします。

「嫌い」な「現実の自分」よりも、満足している「仮想現実の自分」の方が好きだからです。


本来ならば、実生活の上にサイトって言う存在がのっかってるはずなのに、
気がつけば、体感的には逆転してしまっていく。
サイトが「趣味」ではなく、「自分そのもの」になっていく事となっていく危険性があるのです。

でも、サイトの成功はあくまで「仮想現実」です。
けれども、力を入れれば入れるほど、現実が侵食されていきますし、
現実の自分に割り振る時間が減り、その結果、現実の自分の評価が下がって行くこともあります。

誰がなんと言っても、仮想現実に人は住めません。
にもかかわらず、「現実の自分の評価」というものが下がれば下がるほど、
「仮想現実」に執着していってしまうのです。

ケロリン、これは大層怖い事だと思います。
働かなくては、仕事をしなくては、役割を果たさなくては、「生きていく」事が出来ないのに、
その現実は大層辛いというのがごく自然のことであるのにも関わらず、
その「生きてく」という事よりも、「仮想現実の自分」というものに、
全力でのめりこんでしまっている…という事に他ならない…とケロリン思ってしまうからです。


そして、インターネットという独特の特徴なのかもしれませんが、
現実では、気まずくなるといけないからと言わない事。
そして、「言った」としても、表情・声のトーン・口調・信頼関係等から、
「意見の否定」で済む事なのかもしれませんが、
ネット上で「自分がした事」と逆の事を言われる(例:悪口を言われる、言葉を強くされる)と、
それは、「意見の否定・提案」であるはずなのに、「意見を出した人の人格の否定」と感じられる事があります。

その為、「攻撃される前に攻撃してしまえ」という状況に陥る事もあります。
…なんだか、虚勢を張ってしまっているみたいです。

そんな事で、現実では仲が良いはずの2人が、ネット上で偶然会い、結果喧嘩してしまった…
というのを、ケロリン相談を受けてみた事があります。

なんだか、インターネットって全人格攻撃が多い気がします。

そして、もう一つ。


インターネット(仮想現実)は、現実世界とは違って、コミュニティが遥かに多種多様にあり、
現実と違って入りやすく、また期間的な区切りがありません。
その為、インターネットは、自分で「辞める」と決定しない限り、ずっと続けている事が出来るのでは?
とケロリン時々思う事があります。

学校では「学校」・会社では「会社」という都合があるため、学校は時間で、追い出されてしまいます。
けれども、インターネットにはそれがありません。
完全に自己決定の世界です。

その為、「本人」が願うのであれば、いつまでも「永遠」を楽しむ事が出来ます。
いつまでもゲームの王様を演じる事も、とても偉い人のふりも可能です。
しかし、本当は「永遠」なんてどこにもありません。

時間は流れるものですし、サイト・ゲームも新しく出来たり、消えたりします。
それを知ってしまうとき、「それを自覚する時」というのが、
では「自分」は何をするのか? したいのか? という事を考える良いきっかけになるのでは?
とケロリン思うのです。

でも、「全人格の否定をされるから! 」虚勢を貼り、結果、自分が嫌いのまま。
現実の自分がつまらないと感じている場合、サイトを止めるという事は
本人にとって、「負け」だと強く思ってしまう事となります。

サイトやゲームを続ければ続けるほど、
ある程度有名になった(と自分が思って居る場合)と思えば思うほど、
自分が嫌いだと思えば思うほど、その場所から立ち去る事を拒否したくなります。

何故なら、そこは居心地がよく、永遠にたゆたえる場所であり、自分が偉く感じられ、
現実のつまらない(と感じている自分を)感じなくて済むからです。

でも、それは、恐怖だとケロリンは思います。


上手に使えば、自分というものをきちんと見つめる事ができ、
自分自身の得意不得意を認識でき、
大嫌いな自分であっても、注目されている・許されていると感じる場所。
完全なる他者というものから、「すごい」と認めてもらえるという場所となる、仮想現実。

これはさっき言ったように、精神的に相当な成長と快感を意味するにも関わらず、
その快感だけを追い求めた場合、確実に社会不適合者と化す危険性があるからです。
なんだか、モルヒネ中毒末期症状みたいです。

けれどもケロリン、流石にそこまでまずい人というのをいまだ見た事がありません。
ただ、自分が嫌い、だけど、他者に受け入れて欲しいという意識がいまだ抜けず、
現実の自分よりネットの自分の方が受け入れられているから好き。
でも、こんなダメな自分を好いてくれる人は嫌い。
けれども、ずっとここにいたい。
気持ち良いから、楽だから。
それに、辞めるのは「負けだから」。

という理由で、ここに居つづけると、
ある意味、永遠に「青年期の自己嫌悪感」、若い人の苦悩というものから抜け出る事が出来ないのでは?
とケロリンはちょっとそら恐ろしくなります。


別に年齢、性別、職業というものが原因となるわけではない、
きっかけさえあれば「誰でもそうなる」という可能性がある「永遠の青年期」という恐怖。

けれども、その恐怖と一緒にある「現実ではないもう一つの現実」では、
実生活に生きていれば絶対にある「出したくても出せない自分」というものを出してみたり、
ちょっとした「別の人のふり」というものを味わう事が出来ます。

とても良いストレス発散方法です。


でも、だからこそ。
上手に「仮想現実」と「現実」の自分というものを保ちつつ、使用することが必要なのでは?
とケロリンは思ってやまないのです。
     
 
 
 
 
4夜分のご清聴、ありがとうございました。

ケロリンの言った事で文句・反論等有ると思います。
が、ケロリン反論等を聞いたとしても別に怒ったりはしません。
ケロリンは、「ネット」というものに対してこう思うという事で、4夜分しゃべってみただけですし、
サイト運営者の数だけ、そしてそのサイトを見る人の分だけ、ネットに関する意見というものは有ると思います。
そして、ケロリン「今」こう思って居るだけで、明日には何か違う意見というものを見ることによって、
あ、喋った事全然違った。と一人反省をするかもしれません。
ケロリンの更新なんてそんなものです。
けれども、ケロリンはもうちょっとだけこの考えに対して色々考えてみたいと思います。
という事で、もしよろしければ、次のアンケートに答えてくださると、
ケロリン、大層幸せです。

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