平成13年12月2日。
 
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きちんと・・毎日の事をしておけば、こんな事にはならなかったのに・・・・
と、後悔しきりのかえる1号です。
こんばんは。

今日は、泣きながらのレポート作成中でお外に出ることがなく、
あんまり「幸せ」を感じる事ができませんでした。

が!!
レポート作成中にちょっとだけ、かえる的大発見!!

いま、かえるの書いているレポートの名前は
「引きこもりの人たちは何故「昼夜逆転」してしまいがちなのか?」(仮)
なのですが、
今日までぱちぱちと資料をまとめたり、
うごうごと考えてみたりした結果、

結局、私たちが「健康」な時は「外見」しかみていないのでは?
とおもったのです。

「社会生活が出来る人」という人をひとくくりにしてしまうと、
なんとか社会生活を営んでいる人たちに
なんだかちょっと申し訳がないのですが、

社会というものは、人一人一人の「こころ」よりも
「外側(内面)」の方を重要視するのかなぁ〜と思うのです。

よって、社会の中で社会生活を営んでいる人というのは、
外面だけで人を判断しないとやっていけないので
こころが弱って、お外に出られない人のことを
なまけもの〜
とか
サボリ魔〜
とかいうのでは?と思ったのです。


でも、人間だれしも
こころがとっても弱って、へろへろになる時ってあると思うのです。
周りの影響を考えずに、毒を吐いたり、弱音を吐いたり
したくなるとおもうのです。

その一種が引きこもるという形で現れているだけでは?
とおもってしまっているのです。

大真面目に書いてしまうと、
人は社会生活を営む上で、大多数の人に当てはまる「外側」で
判断をすると言う事をしているために、
「こころ」が弱くなって、社会生活を営めなくなるまでへろへろになってしまった人の事を
「受け入れられず(理解出来ず)」に拒否・偏見のまなざしで見てしまうのでは?
と思うのです。

誰だって、悲しい時、プライドがこなごなになったときは
「こころ」はへろへろになると思います。
その時には、いつも通りの「態度」はとれないし、
誰かに甘えたいな〜と思うとおもうのです。

でも、これはかえるは「甘え」だとは思わないのです。
サボリや、怠け者だとは思わないのです。

心がちょっと栄養不足でさむさむなだけだと思うのです。

「貴方のこころは大丈夫?

そして、誰かに栄養を分けられる余裕を貴方は持っている?」

この文章を心のバンドエイドにして、
かえるは、明日も歩きます。
      
 
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