平成14年2月18日。
 
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熱が復活し、今週の風邪は「関節痛だ!!」という事をしみじみ思うかえるです。
・・こんばんは。



責任をとらない「ごめんなさい」というものでも、大人は言うのを嫌がるのでしょうか?

お約束を違えたのであれば、人はごめんなさいと言うと思うのです。
それが例え心の中から言っていないとしても、
「貴方の心を乱してごめんね」という意味でごめんなさいと言うと思うのです。

それが小学校の道徳で教えてもらったルールであり、
世の中で最も良く使うルール。

ただ、最初にそれを教えてくれた人が、「ごめんなさい」を言えない人だったら、
教えてもらった子はどうすれば良いのでしょうか?
「ウソツキ」とその人を憎めば良いのでしょうか?

「責任をおえないから、ごめんなさいとは言えない。」

かえるの知っている大人はよく、そういう言葉を言いました。
言われれば言われる程、泥沼化していく心はその人を憎む事でしか心の平衡を取れず、
『その人は、そう言う立場でしかかえると関係が取れなかったのだ』
と理解出来るまで、それはかえるの大きな心の傷になりました。

まだ癒えないかえるの傷。
触れるだけで今だ涙が出てくるような心の傷。

約束を守れない事はあんまり幸せではないです。
それはどちらの立場でも同じ事。
約束を守れなかった人も、守ってもらえなかった子を見るのは辛いと思います。
責任をとらなくては。
大人は大体、責任!!と考え、責任がとれない事が分かると
謝る事すら出来なくなっていきます。

謝る=責任をとる。

大人の世界では、どうやら当たり前の事。
けれども、子供の世界はちょっとだけ違います

謝る=悪い事をしたと言う事を認めると言う事。
認めた後に、責任をとるかどうかはその人次第。

かえるの認識が間違っていなければ、
何かの組織に関係して動いている時の「ごめんなさい」は責任がありますが
個人の「ごめんなさい」は責任がとれない時もあるのだと思うのです。

子供が、ガラスを割った時に謝るのと同じように、
大人が「行った事」を謝るのは心のごめんなさいだと思うのです。


責任は要らない。
そんなもの、最初から欲しいと思ってはいない。
ただ、心のけじめをつけたいだけ。
必要以上に、自分は駄目なのか?という否定的な考えをやめたいだけ。
謝ってもらったら、それ以上憎まなくて済むから。
人を信じたい、人がダイスキだからはじめた事を、人の為に嫌いになる。
そんな悲しいことを言わせない為に、
心の傷が少しでも治るのが早まる様に、
その人が悪いのではないという意味で、「ごめんなさい」は必要だと思うのです。


かえるの絵日記のうりである「暖かな牛乳」は、最近なんだか沸騰気味です。

ごめんなさいm(_ _)m
      
 
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