平成14年3月24日。
 
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「自分にしか出来ない事」にこだわりすぎたことがあります。

かえるの知り合い・友達は、かえるより年上の人が圧倒的に多く、
その上、社会的に偉い人も沢山いるみたいです。


普段は普通の人にしか見えず、たとえきちんとした格好をしていても冗談にしか見えない人達。

けど、この人達が専門分野をはじめた瞬間、場所の雰囲気が変わるのを、
そして自分たちの専門に対しては、生半可な知識で参加する人達をやんわりとはじくのを
かえるは知っています。
専門の事を楽しく、本当に幸せそうに話す人達。
けれども、相当の知識がなければその会話を聞くことも出来ず、
かといって一人ぼっちでぽつんとしているわけにも行かず・・。
かえるは毎回途方にくれます。

毎回毎回途方にくれて、かえるはその人達の半分も生きていないと自覚していても途方にくれて・・。
そして、かえるは1つぐらい、「自分にしか出来ない事」が欲しいと思うようになりました。

せめて、1つ。
かえるは何も出来ないけど、この場所に居てもよいようにせめて一つ。
無駄に焦って、絶望に駆られて、かえるは考えるようになりました。
じゃぁ、あの人達はどうだったのだろう?と。
かえるがどきどきしながらお話を聞いている人は、最初からあんなに専門家だったのだろうか?
最初から強かったのだろうか?

「そんなはずはない」、最初は途方にくれたはずだ。
でも、走って逃げたりせずにずーっとその場所に居つづけて、そのことが好きだったからこそ
専門家になれたのでは?

途方にくれてもとりあえず、そこに居る。
かえるが今出来ることはそれしかありません。

どんなに焦っても、途方にくれても時間が早くたつことも、
知識や経験が覚えられることはありません。
ならば、せめてその場に居つづけようとかえるは思うようになったのです。

居つづけて、愛し続けられたこそ得られる知識、そして専門家になる‥‥。
それはとても欲しいのですが、今すぐできるわけではありません。

自分だけが「その事」が出来るという自信ももちろん必要かもしれませんが、
その瞬間・その場所において自分が居るという事実も、「自分しか出来ない事」とすると
もう少し、気持ちが楽になるのでは?と思うのです。

自分しか出来ない事よりも、自分が出来る事を考えたほうが、世の中ちょっと幸せです。
 
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