平成14年10月10日。
 
Picture
○
今日はは体育の日だから、お休み〜っと思っていたら、
全力で違う事に、今気がつきました。
…今日しか提出できないレポートを全力で出し忘れたかえるです。
…………こんばんは。

「言葉」を丸々飲み込んでしまうのと、
一度砕いて、咀嚼して、それから飲み込んでしまうのと、
どちらが楽チンなのかなぁ?
と、相変わらず絶望的に良く分からないことを考えていました。

ヒトの「言葉」というものは、一つたりとてかえるが持っている「言葉」と
同じ意味としての「言葉」はないとかえるは思っています。

なので、何か「気持ちの言葉」をいわれた場合、
かえるの「前提条件」で「言葉」というものを理解してしまうと、
もしかしたら、全力で相手のいいたかった事と違っているかもしれないなぁと
思ったのです。

例えば、「夢」という単語。
かえるは、夢という単語を「幸せ」とか「未来」
というプラスののイメージでみていますが、
かえる以外の人はこの単語を、「淡いもの」「取るに足らない妄想」
という意味で使っているのかもしれません。

こんな感じで同じ単語でも、まったく意味の違うように取っていた場合、
「夢のある感じですね。」
という一言が、かえるにとっては褒め言葉でも、その人にとっては
揶揄ですか?という感じに、悪口となってしまう事もあるのでは?
とかえるは思うのです。

けれども、どちらの「言葉の捕らえ方」というものも、
相手の言葉の取り方が良いとか、かえるの取り方が悪いとか
そういうものではないと思うのです。

ただ、優劣があるわけではなく、その人の育ってきた環境の中での
単語の意味の取り方があるだけだと、かえるは思うのです。

気持ち的には「小さな文化の違い」という感じです。

が、この「小さな文化の違い」というものを考えず、
自分が持っている「言葉の意味」というものだけで、
モノを話しつづけたら、ちょっと「言葉」を丸呑み過ぎでは?と思います。

確かに、自分の定義だけでモノを話すのは、気を使わなくて楽チンさんです。
しかし、そんな「同じ定義」だけのヒトとお話しつづけたら、
なんだかちょっと、マンネリです。

同じ定義ではなく、ちょとだけ違う言葉の定義で人はヒトと話すからこそ、
刺激があって楽しいのでは?とかえるは思うからです。

一寸だけ違う言葉の定義。
全力で反対の意味をもつ、言葉の定義たち。

下手をすれば、「あの人は自分と合わない」と怒ってしまうような
そんな微妙な定義ですが、
「こんな定義もあるのだなぁ」と上手く取り入れられる、
自分の心の中に「この言葉は逆の定義もある」ということを入れられる
余裕が出来るのであれば、それこそ幸せだなぁと思うのです。

ただ、「コレだけは譲れない言葉の定義」というものがないと、
あれもこれも、ヒトからの定義ばっかりで、自分の定義が無いという
ちょっと切ない状態にもなってしまう、ちょっと難しい定義です。

貴方の譲れない「言葉」と「定義」ありますか?
      
 
Prev Index Next

Top