平成15年1月13日。
 
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実はあまりにもやる事が多すぎて、何だか「急いでいろいろやらなくては」病
というものにかかっている気がしているかえるです。
かりかりしながらこんばんは。

かえるの日常において、やらなくてはいけない事というのは、
実は時間が多量に必要なモノというよりも、
「不思議な間」というモノが、やたらめったら必要だったりします。

記憶するコトよりも、今まで見聞きしてきたモノをいかに組み上げるか。
統計で表されたモノよりも、それから零れ落ちてしまった瑣末なキモチの行き着く先。
未来が約束されたヒトよりも、未来を自分で見なくなったヒトのその刹那な目。

こんな不思議なモノを、聞いたり考えたりする事が何故か多いかえるにとって、
「かえる感覚」というものは、下手な「日常常識」というものよりも大事になってきます。

普通に生きていては、零れ落ちてしまうような「こころの小さな破片」というものを、
ひたすらじーっと見つめてみたり、一緒に転がってみたり。
転がっているうちにその「小さな破片」というものは角が取れて丸くなるという事実を
身をもって知ったり・・・。

傍から見たらとても情けなく、時間の無駄遣いだけをしているような、
焦燥感だけが増していくような時間が時々必要なのです。

ただ、「かえる感覚」だけでは当然生きてはいけません。
かえるがかえるの感覚だけで生きていては、本当に生活無能者になってしまいますし、
「日常常識」というものだけで生きていたら、かえるがやらなくてはいけない
不思議な事というのは、全く組み上げることは出来ません。

生活をしていたい。
けれども、生活だけをしていたら「かえる感覚」は確実に鈍くなる。

そんな矛盾した気持ちをひたすら抱きながら、ここ2−3日を過ごしていました。
聞かなくてはいけない色々なものに、少し引きずられていたのかもしれません。

夢を失ったヒトの、それを失う瞬間の目の色。
そうは会う事は出来ないヒトの声の柔らかさ。
忘れたくないのに忘れていく、温かさという重み。

忘れたくないのであれば、忘れないでいられるのが最良なのに、
忘れなくては日常を過ごす事は出来ない。

久しぶりに、聞くと引きずられる「声」を聞きました。


「日常」から離れないと、解決できない「想い」。
貴方なら、どちらをとりますか?
      
 
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