平成15年1月28日。
 
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言葉というものは、本当に怖いなぁとしみじみ考えているかえるです。
ぐったりしながらこんばんは。

時々、日記を描いていたり、文章を書く機会が稀にあったりすると、
「言葉は怖いなぁ」としみじみと感じる事があります。

文章には、色々な「言葉の使い方」があるなぁとかえるは思います。

自分の感情や自分の体験を使っての「〜だ。」という断定の言葉。
そこから読み手の内面を問う形になる「〜はどう思いますか?」という問いかけの言葉。
自分の意見というものは言うかもしれないけど、それは瑣末であるという
「〜だと、○○は考える。(けれども、貴方の考え方までは強制しない)」という内向きの言葉。

色々なものがあると、かえるは考えています。
そして、「言葉の使い方」というものがあるように、
言葉そのものにも、色々な「性質」というものがあるのでは?とかえるは思います。


強い言葉という性質。
強い非難の言葉や、相手を罵倒する言葉。攻めの言葉。

弱い言葉という性質。
かすかな意思を込めた言葉や、後ろ向きの言葉。受身の言葉。

etcetc。

例を挙げれば、それこそ「言葉と表現」系の本のようになってしまうのですが、
かえるがちょろりと考えただけでも、色々な「言葉の使い方」と「言葉そのものの性質」
というモノがあると思います。

文章を書くというのは、最低限この2つのものを使いながら、
「何を言いたいのか?」「何を伝えたいのか?」と言う事を人様に伝える媒体であると
かえるは思っています。

「気持ち」を「柔らかく」伝えたいのか?
「感情」を「強く」伝えたいのか?
「理念と感情」というものを、「固持する」という事を伝えたいのか?

どの組み合わせで文章を書くか?と言う事によって、
ヒトはその文章から色々なイメージというものを得たり、
それに対して共感したり、反発したり、自身の考えというものを膨らませたりするのでは?
とかえるは思うのです。

と、こんな事を何を今更言っているか?と言われますと・・・。

己が正しいと思っている事であっても、「感情を固持する言葉」という言葉や文章には、
どんなに不本意にでも「関係ない第三者」を傷つける事があるのだなぁとしみじみと
考えさせられまして・・・。

とある、雑誌からの言葉(要約)なのですが、
「ヒトを非難する言葉は、けして言ってはいけない。
 周りにいるヒトが、耳にするだけで傷付く言葉だから。
 どの言葉が「傷つく言葉」となりうるのかというのは、言ったヒトにはわからない事だから。」

・・・。
ふとした合間に読んだ文章なのですが、しみじみとかえるは考えさせられました
。
「言葉を伝えようと思っているヒト以外の事も考える」
というのは「簡単なようでいてとても難しい」のではと、かえるは思うのです。
      
 
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