平成15年7月1日。
 
Picture
○
用事があって、ちょっとお出かけしてきました。
普段は仕事の都合上、とっても威厳がある方なのですが、
私用という事で、ほんわりふんわりお話してくださったので、
とっても幸せだったかえるです。
こんばんは。

メインのお話が終わった後、ふと始まった雑談。
ちょっとした言葉遣いの差の話から、服装の話、視線のやり方の話など
長年きちんと責任もって生きてきた人は、様々な事柄に気を使っているのだなぁと、
どきどきしながら聞いていた所、ふと面白い言葉を耳にしました。

「愛情と感謝と謝罪の言葉が言えなくなったら、人間おしまい」

大人になって、地位のある立場に立って、最初は自分より年上の人が
自分に頭を下げるという事実に戸惑った。

そして、次第にそれが当たり前になり、
頭を下げない人に対して腹が立つようになった。

他者から、尊敬される事・愛情を傾ける事というのが、当たり前という
今から考えると「現実自分」よりも、「仕事自分」の方が
偉くて仕方がなく、引きずられていたなぁと今なら思える。

その当時は、まったく気がつきもしなかった。

けれども、高校からの旧友とふと出会ったときに、がつんと言われた。
「今の貴方は大層つまらない、幼い人間になったね。」と。

最初は腹が立った。
そして、次には「羨ましいのだ」と否定した。
けれども、いわれた事で無為な不安が広がり、
それは拭う事が出来なかった。

そんな時に、周囲をみたら、回りに有益な事をきちんと述べる人が居なかった。
その瞬間、「きちんと、感謝出来なくなったらおしまいだと思ってね。」


そんな、大人の昔話。
どんな事でも、「してもらって当たり前」と思い始めると、
どんどん自己が必要以上に大きくなってしまう。
一人で生きている気になってしまうという、少し恐怖を覚えるお話。

そんなお話を聞いていて、感謝の言葉と言うのは本当に必要なのだと
しみじみ思ったそんな一日。

他者からの影響だけで生きていこうとすると、また大変ですが、
自分だけで生きていくと思ってしまうと、また大変。

そんな事を、かえるしみじみと考えてました。

「好きとありがとうとごめんなさい」
心から最近ちゃんと言えているのか、ちょっと考える事が出来ると、
いざと言う時一人ぼっちにならなくて、ちょっと幸せかもしれません。
      
 
Prev Index Next

Top