平成16年10月5日。
 
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一度片付け始めると、ひたすら荷物を広げてしまい、
寝るところが確保できなくなってしまうかえるです。
こんばんは。


小さい頃に模擬テストを受ける機会があったせいか、
途中から始まり、最後まで書かれていない文学作品、というものをたくさん読んできました。

時折、作者本人から「こんな意図を狙って書いていない」という抗議もある文章問題ですが、
当時テストを受けているかえるにとっては、テスト中数少ない娯楽だったため、
「文句がついて文章問題が減るといやだなぁ…」と思ったことがあります。

そんなぶつ切り文学作品を数多く読んでいた時期、物凄く気になった作品がありました。

つい、ふらふらと入ってしまった岩と岩の間で寝すぎてしまった山椒魚。
寝ている間にすくすくと育った体のせいで、出られなくなってしまった山椒魚。

ただ彼に残されたことは、岩と岩の間から外を眺めること。

ところが、そんな山椒魚のいる岩と岩のわずかな隙間に、
卵を抱いた蝦が産卵場所を探して迷い込んでしまったからさぁ大変。

「絶対出してやらない!(仲間が欲しい、一人だけ出て行くなんてずるい)」という山椒魚と、
「いーや、出しやがれ!(出られなくなったのは自業自得だろう)」という蝦が繰り広げる
戦っているのだか、拗ねているのだか、根性曲がってしまったのか、仲が良いのかいまいち分からない
「山椒魚」というお話。


当時は、作者の名前を覚えて後で本を買ってみようという知恵も無く、
「変な話だったなぁ」と思うだけだったお話なのですが、
最近、かえるが煮詰まったときにばかりその話を思い出すことに気づきました。

川の底、太陽の光もほとんど入らないような場所で、
対処を打ち間違えたせいで希望が見えなくなったと、絶望だけを振り返り続けて苦悩する山椒魚。
そしてそれとは対象的にひらすら前を、そして卵を守ろうとする蝦。

改定を繰り返すごとに結末が違うという噂もある「山椒魚」というお話。
時折、「いっそ本を買って読んでしまえば一応の結末は分かるのだから」と買ってしまいそうになるのですが、

それをぐっと堪えて、かえるは考えてみるのです。

対処を打ち間違えた場合、それは絶望にしか向かわないのか。
だとしたら、蝦はなぜ希望を捨てないのか。
山椒魚はなぜ、蝦を開放しないのか。
それは、意地悪からか、きまぐれなのか、話し相手がいなくなるからなのか、実は大切だからか。


世に長くある作品は、色んな角度から考えさせられるので、
やっぱり読んでいて、考えていて、面白いなぁと思います。



でも、気になるー。
      
 
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