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使わないだろうと思っていたものを、頻繁に使うようになるとこそばゆい。
罪悪感に苦しむのかと思いつつも、日々使っていると生活必需品になるのだと、
しみじみ実感しているかえるです。
こんばんは。
マッチは飛ばすものではなく、摺るもの。
今更書くまでも無く当然なコトガラの一つなのですが、
かえる、どうにもこうにもマッチをすることが出来ませんでした。
理科の実験のときに、アルコールランプに火をつけるときだって飛ばす。
飛ばした先に人がいようがいまいが、飛ばす。
「危ないって!」と真顔で猛抗議が行われようが何しようが、
火がついている小さなものを手にした瞬間、恐怖の余り手を離してしまうのでした。
事の起こりは幼稚園に入るより少し前。
喫煙家の叔母と喫茶店にはいり、叔母がタバコを吸おうとタバコをくわえた瞬間、
「火をつけるのだ」と何故か強く思ったかえる、マッチ箱からマッチを取り出し、
一生懸命マッチを擦りました。
びっくりして見つめる叔母。
みるみるうちに燃えはじめ、差し出してくれた灰皿にマッチを投げ捨てたかえる。
後で、「火とは危ないものなのだ。」を学習させる為に、
母親にこてんぱんに怒られたのはいうまでもありません。
泣くまで怒るを通り越して、泣く根性すら失われるまで怒られ続け、
ぐったりするまで怒られつづけたかえる。
家に帰る頃には、立派に火が嫌いな生物と進化していました。
ガスコンロの火や、マキの火は扱えるものの、指の先で持てるありとあらゆる火が恐怖に。
マッチやライターは言うに及ばず、ロウソクの火もいつ溶けて来るかと怯えの対象になり、
厳密には火とは言い難い豆電球の灯りも、「いつ爆発するだろうか?」と嫌な顔になる。
間違いなく、マッチを擦って熱い目にあったから嫌いというものではなく、
グッタリするほど怒られたから恐怖の対象だというのは目に見えてわかっているのに、
それでも怖いのがトラウマの怖いところ。
夏の風物詩の手持ち花火でさえ、おそるおそるとしか持つことが出来ず、
人のものを見て楽しむぐらい火から遠のいておりました。
けれども、人間、苦手なものはいつか正面から対峙する羽目になりもので。
お炭の処理では箸で炭を扱わないといけませんし、
毎回毎回の白檀の香りのお陰でうっかり買ってしまったお香を焚くには、
マッチかライターを使わなくてはなりません。
使いたくない。
けれども、使わないとお香が焚けない。
そんな逡巡を繰り返し、少しづつ使うようになってきたマッチとライター。
使うたびに、怒られた事を思い出して恐怖に打ち震えたり、
二度とタバコに火を付けることは無いのだとしょんぼりしたり。
手軽に火を扱えるものなのに、使うたびに色々思い出してしまうと、
なんだかぐったりとしてしまう物になってしまうのだなぁと、しみじみしている最近でした。
ぺこり。
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