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大きな、両手でかかえる事すら出来ないような木々の桜は、絢爛豪華で素晴らしい。
けれども、手のひらにそっと閉じ込められる小さな桜というのも、
趣の面では素晴らしいと思うかえるです。
お花見、いけなかった。
大きな物の花びらが舞い散る様は、世界を変えるかのように美しいのは自明の理。
また、同様に小さきものもまたみなうつくし。。
本来なら、庭に植えたり、棚を設えて楽しむ花々を、
小さな鉢で作っている人がいると聞き、
当時は「面白い人もいるものだ」とおもっていたかえる。
最近、出先近くのお花屋さんで、小さな鉢植えを軒先いっぱいに出しているのを見た瞬間、
あれは雅やかな趣味であったと理解しました。
心無い雨や雪、風によってすぐに散ってしまう柔らかな花達。
鉢にすることで、朗々たり巨木にする事は出来ませんが、
気候から彼らを守る事が出来ますし、幾つもの鉢を重ねて遠近感を楽しんだり、
屏風を立ててみたりと、家の中で独り占めする事が出来るのです。
昼間から、障子をみな閉じてしまい、和紙を通した明かりだけで見る桜。
屏風はに金でも、漆であってもきっと幻想的なまでに綺麗に違いありません。
ああ、独り占めでとろりと昼寝をしてみたい。
などと、毎回花屋さんを通る度にうっとりしていたのですが、
桜が満開になる時期に、笑顔で飾り出してきたのが、藤の鉢。
四角いくくすんだ茶色の鉢に、スラリと伸びた枝。
先には、次々と花咲くであろう蕾の数々。
競い合いあうかのように咲いては散る桜も好きですが、
日々薄紫に染まっていく藤を愛でるのも気持ち良さそうでたまりません。
藤棚が作れないからと、小さいにも程がある土に今まで涙していましたが、
この鉢なら、この家でも育てられますし、普段は見上げるだけの藤の花を、
見下ろす快感もついてきます。
その上、満開になったら、薄日差す部屋でほんやりと独り占め。
日々の忙しさが焚き付けるのか、幻想を独り占めをしたいばかりに身悶えるのか。
お花屋さんの前を通る度にうっとりと見惚れ、己の欲望にもにゃもにゃ悩んでしまうのです。
部屋に、屏風がたてられるかが今後の分かれ目である昨日今日の悩みどころ。
藤が満開になるまでに、長考の結論が出てくれるのを祈るばかりです。
もにゃもにゃり。
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