平成26年6月29日。
 
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6月5週。

毎回毎回、宿題を片付けていると、思うことがあります。

「勉強」とはそもそも、何なのか。


かえるだって、「趣味:勉強」ではありません。
宿題の提出日に追われ、必死になって片付けているだけです。

片付けても片付けても、それでも続く宿題の日々。
流石にくたびれ、そして、我に返りました。


だから、「勉強」ってなんなのか。


他の人から思考を強いられるなら拷問ですが、
自分から思考錯誤するのならゲーム、それもかなり楽しいもののはずです。

しかし、勉強がそれだけのものでしたら、
全てをゲームのようにシステム化すれば良いだけですし、
そうなっていないのであれば、何かしら理由があるはずです。


そんな風に、疑問には思っておりましたが、
解決しないままに、毎日暮らしておりました。


我に返っても、宿題が山盛りだったからです。


しかし、何度も何度も宿題を片付けていくと、
「勉強」するときの過程は見えてきます。


「勉強」をするときには、新しい概念をどうにか理解をし、
理解したそれを、今までの知識と擦り合わせ、応用していくことが求められます。

知らない概念をどうにか理解したい!と、自分の知識をあてはめてみたり、
推理したりしながら、すこしづつ理解を広げていく。

どうしても分からない物なら、一歩下がって基礎から知識を再確認したり、
専門家に聞いてみることも必要です。

時には駆け足で進めたり、諦めたくなりますが、
どうせ逃げても、やつらは追ってきます。


諦めが肝要です。


ずっと頭の端で考え続ける。
何かを伸ばしたり、割ったり、あだ名をつけたりと、段々親しさを深めていき、
そしてそのずっと後、ある瞬間、急に理解が追いついたりいたします。

今までわからなかったら、分からなかった分だけ、
辛かったら辛かった分だけ、全てが快感に変わる瞬間です。


あれはもう、オセロで一気に形勢逆転していくかのような、
世界が一気に遠くまで開くかのような、そんな気持ちでたまらなくなるものです。

たまりません。

きっと「勉強」とは、あの快感を得る為の我慢大会である。
そういうことにしておこう、それなら仕方がありません!


死ぬまで続けても、本当の所は分からないかもしれません。
でも、分かった時は楽しいだろうな、大変気持ちよいものなぁと、
過程を楽しみながら進んでみる。

もし、本当にそれが出来るのであれば、
何かを学んでいくというのは、大変楽しいものではないか。



と、思わなくてはやっていけません。


そんな過程の毎日です。



もういやだ!
      
 
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