6月5週。
毎回毎回、宿題を片付けていると、思うことがあります。
「勉強」とはそもそも、何なのか。
かえるだって、「趣味:勉強」ではありません。
宿題の提出日に追われ、必死になって片付けているだけです。
片付けても片付けても、それでも続く宿題の日々。
流石にくたびれ、そして、我に返りました。
だから、「勉強」ってなんなのか。
他の人から思考を強いられるなら拷問ですが、
自分から思考錯誤するのならゲーム、それもかなり楽しいもののはずです。
しかし、勉強がそれだけのものでしたら、
全てをゲームのようにシステム化すれば良いだけですし、
そうなっていないのであれば、何かしら理由があるはずです。
そんな風に、疑問には思っておりましたが、
解決しないままに、毎日暮らしておりました。
我に返っても、宿題が山盛りだったからです。
しかし、何度も何度も宿題を片付けていくと、
「勉強」するときの過程は見えてきます。
「勉強」をするときには、新しい概念をどうにか理解をし、
理解したそれを、今までの知識と擦り合わせ、応用していくことが求められます。
知らない概念をどうにか理解したい!と、自分の知識をあてはめてみたり、
推理したりしながら、すこしづつ理解を広げていく。
どうしても分からない物なら、一歩下がって基礎から知識を再確認したり、
専門家に聞いてみることも必要です。
時には駆け足で進めたり、諦めたくなりますが、
どうせ逃げても、やつらは追ってきます。
諦めが肝要です。
ずっと頭の端で考え続ける。
何かを伸ばしたり、割ったり、あだ名をつけたりと、段々親しさを深めていき、
そしてそのずっと後、ある瞬間、急に理解が追いついたりいたします。
今までわからなかったら、分からなかった分だけ、
辛かったら辛かった分だけ、全てが快感に変わる瞬間です。
あれはもう、オセロで一気に形勢逆転していくかのような、
世界が一気に遠くまで開くかのような、そんな気持ちでたまらなくなるものです。
たまりません。
きっと「勉強」とは、あの快感を得る為の我慢大会である。
そういうことにしておこう、それなら仕方がありません!
死ぬまで続けても、本当の所は分からないかもしれません。
でも、分かった時は楽しいだろうな、大変気持ちよいものなぁと、
過程を楽しみながら進んでみる。
もし、本当にそれが出来るのであれば、
何かを学んでいくというのは、大変楽しいものではないか。
と、思わなくてはやっていけません。
そんな過程の毎日です。
もういやだ!
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