悩みの答え(2002年10月12日より)
 
「私がきちんとしていれば、あの人はあの時迷わなくて済んだのに」
という事を時たま耳にしますが、それは、
「あの人が考え、悩み取った行動」であって、
別にその経過・結果は「私」が悩むものではないのでは?
と思う事が、かえるにはあります。

なぜなら、
「物事の結果はその人の取った行動の責任であって、他の人がその責任を負う事は出来ない」
とかえるは思っているからです。

その「悩む」に至るまでの思考形態・悩む方向性・そして悩んだ事実から学んだ事柄。
それらを得るまでの間は、傍から見ていたらとても辛く見えてしまいがちですし、
出来る事なら代わりたいと思う事があるかもしれません。

でも、「代わってしまう」ということは、その人の「人生の1部」を永遠に失わせてしまう事なのでは?
そして、「代わる」という事は、その人の今までの人生背景や痛み・苦しみを代わりに
背負い込む事では?とかえるは思います。

けれども、代わってもらう「悩み」が悩みであればあるほど、
その苦痛とその喪失感は増してしまうのでは?と思いますし、
他人の「生まれてきてそれまで感じた全ての事」ということを全て引き受けて、
さらに「その悩み」というものを悩むなんて、ちょっとヒトには無理そうだと思うからです。

そんな事をしてしまったら、今度は「自分の今から」を生きることが無理そうです。

その上、悩みを代わってもらったと思っていても、
悩んだ本人がその「答え」が理解できなかったら、
その先、何度も同じような悩みで、悩みつづけるでしょうし、
悩みを代わりに引き受けたとしても、
代わった人自身がその人独自の「別の悩み」で悩んでいたのであれば、
悩みが増えれば増えた分だけ心労が増えていきます。

それに、自分の悩みでない「悩み」なんて、どんな素晴らしい答えであっても、
そのヒトが納得しなくては意味がありません。

けれども、傍から見たら「とってもおかしい答え」が、
その人からしてみたら、これ以上ない答えとなる事もあると思うのです。

それは、悩みにぶち当たってみなくては分からないと思いますし、
また、その人が悩んでみなくてはわからない事だと思います。
さらには、悩んで、悩みぬいて、悩むのを辞めた瞬間に出てくる
「悩みの答え」だってあるかもしれません。

だからこそ、ヒトは悩むのでしょうし、その「悩み」が深ければ深いほど辛く、
その「悩み」が解決した時、可能性というものを得たときに、
ヒトは「その悩み」というものから、成長をみるのではないでしょうか?

と、いうのをふと考えた、今日の夕方。

というわけで、今かえるは「かえるの人生」というものを歩んでいます。
この人生どうやら傍から見ると、悩むという行為がちょっと多いように見受けられますが、
かえる的には一つ一つ悩んで、悩みぬいて一つづつ「かえるの答え」というのを
出すのがとても幸せな行為なのです。

…貴方の悩みの「答え」はどんな形ですか?
      
 
 

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