ボランティア?の言葉。(2002年10月24日より)
 
えばれる事でも何でもない上に、確実に歳がばれそうですが、
実はかえる、ボランティア活動というカテゴリに入る活動というものを
16年間延々続けさせて頂いています。

最初の数年は人様と一緒に活動するという行為自体が楽しかったから、
そして最近はちょっぴり思う事がありまして、活動をさせていただいているのですが、
そんななんだか長いんだか短いんだか良く分からない期間、同じ事を続けていると、
時々考える事があるのです。

ここ5年ぐらいの間、本当に様々な災害や人災がありましたし、
「人という価値」というものがずいぶんと多様化しました。
その結果、ボランティア活動というものに関心をもたれた方が、
以前に比べて多くなったなぁとかえるは周囲を見渡して、ふと考えます。

けれどもかえる、ごく最近ボランティアというものをはじめた方に
不思議な共通点を見て取る事が出来るのです。

とてもよくない、ある意味それもかえるの偏見では?という感じもするのですが、
何となく「してやっている=弱者が居るからやる」という奢った感覚と、
「だから、やっていない人は口出しをするな」という感じが見て取れるのです。

はじめたばかりの方と、お話をさせていただくと、口に出しては言われませんが、
「自分たちはボランティアをして(やって)いる、だから、褒められてしかるべき」
という感覚で、まるで賞賛されるのが当たり前のように考えている時がありますし、

また、誰かに「これは違うのでは?」と言われても、「していないなら口を出すな」
と言う感覚を、そして酷い時には口に出してそれを言う様を、かえるは目にした事があります。

けれどもかえるは、それは違う気がします。

ボランティアというものは「賞賛されるべきもの」ではないというのが、かえるの気持ちですし、
人様からすれば長いと言われている期間その活動をしてきた上で、かえるが感じた事だからです。

そして、もしかしたら、した事によって文化が壊される危険性さえあるという事を含む
諸刃の剣である事であると、考えておかなくてはいけないと、かえるは思っているからです。

貧困で飢えている人に食事を与えた。
貧しさの為に、人手が必要なので学習する事が出来ない人たちに、金銭を与え学校へ行かせた。

それだけを見たら、確かに褒められるべきことだと思います。
しかし、それを定期的に続けていながら、それを止めたらどうなるでしょうか?

食事を与えられていた人たちは、今まで以上の飢えでもって死んでしまうかもしれませんし、
途中まで学習が出来た、そのため「努力を重ねれば、夢というものがかなうかもしれない」
という希望を打ち砕く事にすらなります。

中途半端な介入は、より一層の破壊を。
そして、介入者である私たちの持っている「こうした方が良い」という信念は、
かえるたちが生きている文化でしか成り立たないものであるという事も
考えに入れなくては、キチンと介入している、活動しているとは言えないのでは?
とかえるは思うのです。

なんだか壮大な話になってしまいましたが、

一つの国を、飢えから救おうと思ったら、中途半端な支援で終えるのではなく、
きちんと計画を立てた上で、まず食料を。
次いで、いかに国の人たちが食料を自分たちでまかなえるか?
そして、いかにその国の文化・伝統を潰さずにそれを提供できるのか?
という事を考えていかなくては、きちんとしたボランティア(支援)にならないのでは?
とかえるは思うのです。

ボランティア活動というものも色々な種類がありますが、
こんな壮大な事をしなくても、「してやっている」と思っていると、提供側への考え、
そしてそもそもそんな活動を支えてくださっている方への配慮というものを
忘れてしまいがちになるのではと思います。

例えば、ちょっとした募金活動。
これですらも、活動をやりはじめた頃は、
募金してくれないなぁとか、遠巻きで色々言われているなぁと思って、切なくなったりもしますし、
活動中に、わざわざ近くまで寄ってきて、「その活動内容は、無価値だ」という方もいらっしゃいます。

やっぱり、悲しいです。

けれども、その発言の内容も「その人がその「活動」というものに対して持っているマイナスイメージ」
としての意見だと思えたら、では、言われないようにするにはどうすればよいのか?
ということを考える材料にもなりますし、
「悲しい」という気持ちそのものが、「分かってくれない」というこちら側の傲慢さの表れでは?
と考える事だって出来ます。


そして、募金をしてくれない人にも事情があります。

金銭的に余裕の無い人。
時間が本当にない人。
そして、募金内容に賛成出来ない人も居ますし、
活動内容に深い痛みを覚えているので、その募金の存在すら嫌がっている人もいらっしゃいます。

でも、こんな方もいらっしゃるのだと思えて、気がつけて、
そして、「募金活動でこの人達を指して募金をしないのに何か言えるのか?という事を言えるのか?」
と考えはじめると、かえるは今まで持っていた「している」という傲慢さに気がつきました。

そして、それに気がつくと、その活動の大事さだけに捕われたかえる自身ではなく、
そのような活動自体を、引いてはそのような活動をしているかえるを
受容されているように感じられはしたのです。

ボランティアってなんでしょう?
      
 
 

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