平成17年9月6日。
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「縫いたい」と呟き、材料を集める割には腰が異様に重い。
でも、縫い始めると出来上がるまでは基本的には休みなし。
全力を持って体に悪い縫い方をしているかえるです。
反省中。

中に入れるものを考えながら、型紙の微調整をする。
紙のままでは強度が足りないので、裏に厚紙を張って補強する。
予め洗って伸縮分の調整を終わらせておいた布にアイロンをかける。
どの柄を使うのか? 縫った時に違和感は無いか? を考えつつ印を付ける。
縫いしろ部分を注意しながら丁寧に切る。
アイロンをかけて、しわを伸ばす。
マチ針で動かないように固定してから、ミシンが使えるところは使ってしまう。

ちょっとした物であっても、「固定」と「アイロン」という作業が入ると、
あっという間に時間が過ぎてしまう針仕事。

目は疲れるし、時間はあっという間に過ぎ去ってしまうしと良いことは無さそうなのですが、
それでもちまちまと縫ってしまうのは、「最初から最後まで、全部目でわかるから」では?
と、思うようなりました。

普段やっている目の前の仕事。
やらないといけないことは山ほどあるのにも関わらず、何故か自分の目の届く所では
全てが完結しないような気がしてたまりません。

汚れ物のお洗濯だって、どういう汚れか? どういう汚れ方をするか? どの洗剤で洗うか?
ぐらいの選択だけで、後は洗濯機が頑張ってくれるだけです。
なんとなく、「やっている過程の変化」というものが良く分かりません。

分かるのは、綺麗になった洗濯物と、汚れた水が下水に流れるぐらいです。

どうして綺麗になっていくのか?
汚れた水はどうしたら綺麗になっていくのか?
閾値を越えたらいきなり綺麗になるのか?
それとも、ゆっくりと綺麗になっていくのか?
それは目に見えるものなのか?

普段は気にせずにやっている事柄ですが、一時にしたら最後、
家事から仕事から、マーケットで並んでいる鳥の骨の行方やら、
色々と、「知らずに目の前だけをやっていること」というのが非常に多いなぁと思ってしまうのです。

でも、針仕事で作るものは「どんな用途」で、「どういう形」で、「どんな風に作られるのか?」
ということを一々決めなくては出来上がっていきません。

逆に、それを決めないといけないという手間があるのですが、
そういうのを普段決めず、ノリと課題だけで生きているということを考えると、
そこはかとなく「何か、考えなしで生きていないかなぁ」とびっくりするのです。


深く考えずに人生を生きている自覚が芽生えたときや、人生流れ作業に飽きたときに
妙に入れ込んでしまう針仕事。

一からちゃんと考えること。
やっている過程であっても、一つも気が抜けないという状態で居続けること。

毎日やっているように感じられるものなのですが、
改めて考えてみると、びっくりするほど慣れという麻痺で生きているのだなぁと思うのです。

ちくちく。
      
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