平成14年2月9日。
 
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暇になると用事が欲しくなり、
忙しくて目が回ると、暇が欲しくなる。
健康体で仕方がないと、虚弱や病気になってみたいなぁと思い、
具合が悪いと、健康っていいなーって思う。

人間って矛盾した生き物です。
今日、ぐったりとしつつもお友達と長電話をしていました。
どうやらとっても深刻な事がその子の心の中で終わったらしく、
こんな事があったよのお電話でした。
お外にお出かけをして、よしよしと言う事は出来ないので
急遽お電話でのお話。

「人が死ぬ、死なないのお話はそれに直面した人以外話しちゃいけないと思う。」

とりあえず、風邪を引いてお外に出られない事を後悔しました。
ときどき、真面目なことをお話する間柄のお友達ですが、
ちょっとだけ真面目過ぎる、そして血を吐くようなお話だからです。

「自分で自分を殺してしまうのは、周りからすれば酷い事だと思う。
けれども、その人は「殺してしまいたいぐらいつらい」のに、
周りの人はそれを止める権利があるのだろうか?」

かえるの小さな頭では、お返事なんて出来ませんでした。

「他の動物は、自殺しないと人は言う。
けれども、このようなストレスを感じるのは「人」だからではないだろうか?
人だからこそ、自分の存在を消したいほどつらくなる。
ならば、何故自分を消したいと思うことをお外に出すといけないのだろうか?」

むつかしかったです。すごく。

「その人が死ぬことに付いては、かえるは何も言えないと思う。
言えるのは、その人が死んでしまうとかえるは悲しくて、自分を責めて
そして当分貴方に伝えられなかった言葉を抱きしめて泣くだけだよ。」

答えられる、返事が出来る唯一の言葉。
でもそれは、「かえるのエゴ」です。
かえるが悲しいというかえる自身のエゴです。

辛い心は誰も代わりに背負えない。

ただ、その荷物をしょったままこの世界から消えなくても良いと思うのです。

重くて辛いなら、1度その荷物を置いても良いと思うのです。

荷物を置いても誰も責めません。
重かったと、逆切れしても良いと思うのです。


つらかった、つらい貴方へ、
そしてつらかったかえる自身へ、

自分自身の道です。
歩く、歩かないは自分の問題です。
ただ、辛かったら歩くのを辞めても誰も責めないはずです。
だって、それは貴方自身の道だから。

疲れたら、休んで良いのだと
かえるは思います。
      
 
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