平成14年7月14日。
 
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○話さないと言う強さ。

お喋りで何でもお話してしまうかえるにはこのお話はとても痛いのですが、
話さないと言う事はとても大事ではないだろうか?
とかえるは思います。

心理学の中でもカウンセリングというものを行う時に、こんな事を心がけてした方が良いよ〜という3か条
1、自分の意見・偏見にとらわれない。
2、自分の感情のまま、本当はこう言った方がと思わずにきちんと自分の感情・意見を伝える事。
3、そうなんだーと否定せずに、きちんと真剣に聞く事。
と言うものがあるのですが、かえるの心の中ではその3か条を心がけると言う事よりも
話さないという事はもっともっと重要だと思うのです。


例えば、今目の前で交通事故があったんだよ、とか誰かと誰かが別れたんだよ、
果ては下の掲示板に赤点者の名前が張り出されたよ・・・等、
自分では想像もしなかった世界や状況を知ってしまうとします。
そんな時、人はすぐに誰かにお話してしまうのでは?と思うのです。

かえるも、そんなどきどきするお話だったら誰かにお話したくなるとおもいます。
でも、もしそれが誰かからの打ち開け話だったらどうでしょう?
確かにとってもお話したい、誰かに打ち明けてしまいたいと思うかもしれません。

けれども、打ち開けてくれた人は誰かにお話しちゃだめだよ。
貴方だから(もしくは貴方という立場)お話したのよ。
という状況下では、誰かにお話すると言う事はとても悪い事です。
聞いてしまった人はさぞかしうずうずしてしまうのでは・・と思います。

が、人が何故自分がお話したいのか?という心理を知ってしまうと、
話そうという意識を持つ事がちょっとだけかなしくなってきます。
何故なら、人というのは自身にとってとてもショックである事だからこそお話したいと思うからなのです。

なんだか愉快な日本語になってしまいましたが、
誰も自分の毎日のご飯の内容は話したいとは思わないが、
ある日のご飯に出てきたお味噌汁の中に変なものが入っていたら話したくなるという気持ち
と言えばわかってもらえるでしょうか?

どうやら、人というのは自分の器以上の情報(水)を知ってしまうと、
自分の器からあふれてしまった情報を誰かに注ぎたくなるという傾向があるという事です。

でも、もしその情報を誰かに流してしまった場合、話した自分だけがすっきりとしてしまい
相談してくれた人だけが延々と悩みつづけるが、相談された人はそれ以上考えないという状況になってしまいます。
なんだかそれでは、相談されたことになりません。

本当はしゃべっても差し支えない話、しゃべってはまずい話、人生には沢山のお話がごろごろしていると思います。
けれども、その話してはいけない大事なお話を安易にしゃべることなく自分の心の中にしまいこみ
自分自身の結果が出てくるまで考えつづける・・。

その過程こそが人が人という目に見えない深みを作る材料になるのではないか?
とかえるは思うのです。

心の奥底から自戒を込めて。
      
 
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