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人様とお話していると「それは一言では答えられないものだなぁ」という
問題にぶちあたってしまい、ねちねちとひたすら一匹考え倒し、
気がつけばそれを考えているのはかえるだけという、
情けない状態になりやすいかえるです。
こんばんは。
最近、人生がやさぐれきってしまい、「ぜーんぶ捨てて、1からやり直したいのです」
という趣旨のお話を伺う機会が増えました。
どうやら、「不況」というものが悪いとの事なのですが、
あんまり何度も「不況が悪いんだ!!」というお話を伺っていると、
本当に不況が全部悪いのかなぁと、かえるは思ったりします。
確かに不況よりは不況でない方が、皆さん幸せそうですし、
実際、相談件数というものも、不況でない方が多くありません。
それに、不況の時には、経済的問題からの「自分って何だろう」という相談が多くなり、
不況でない時は、人間関係の問題からの「自分って一体なんだろう」という
相談の割合が多くなるだけで、基本的には「自分ってなんだろう」という気持ちで
相談をされる方が多いなぁと、かえるは思うのです。
というわけで、「ちょっと自分って何だろう」という気持ちが多いお話の中で、
「ぜーんぶ(問題・人間関係)を捨てて、1からやり直したい」という
言葉を沢山聞いていると、本当に不況が悪いのかなぁ・人間関係が悪いのかなぁと、かえるは思ってしまうのです。
確かに、「不況が悪い部分」というのも「人間関係が悪い」という部分もあると思います。
少なくとも、その「自分と合わない部分」というものが無かったら、
その「悩むきっかけ」というものは表に出なかったので、
やっぱり「悪い」という部分もあるのだと思います。
でも、全部、「その何か」が全て悪いのでしょうか?
「自分とは合わないもの」というものが、「悪いもの」としてしまうのは、
何となく気持ち的にはしっくりくるのですが、
「悪いもの」が、全て悪いとなってしまうのは何となく違うと思うのです。
その「悪い」と思う状況下で動く事は、確かにとてもつらい事だと思います。
けれども、かといって「辛い=悪い=だから、そこから居なくなる・投げ出してしまう」
というのは、何となく自分自身の成長が見込めませんし、
「辛い」と思っているのは自分の心です。
なので、何度「その辛い場」というものから逃げてしまっても、
「辛いと思った自分自身」というものからは、絶対に逃げられませんし、
逃げてばっかりだと、だんだんとそれに対して必要以上に臆病になってしまう事もあります。
なんとなく、つけが溜まっていく気分です。
それよりは、もう少しその場に居つづけて。
逃げるのであれば、もうちょっとだけ「何故辛いと思っているのか?」
という事だけ分かってから逃げた方が、後々、自分自身のつけを払う方が楽ちんそうです。
結局、自分の心の中に「変えてみないと後々辛い部分」というのがあるのだと、
かえるはちょっぴり思うのです。
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