平成14年12月8日。
 
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雪が降るとの予報を聞いて、
冬眠の準備をはじめようと思っているかえるです。
こんばんは。

いつもの様に唐突なのですが、かえるの夢は「幸せ」になる事です。
というわけで、日々幸せになるべく色々ごそごそ考えたり、
行動したり、悩んでみたりしているのですが、
ふと、かえる、重大なことに気がつきました。

「幸せ」と言っても人それぞれというのは、色々考えて思ったことなのですが、
では、かえるの「幸せ定義」とは何だろう?と思ってしまったのです。

というわけで、最近かえるが「幸せ」と感じた事を色々思い出してみました。

・朝ちょっとはやく起きる事が可能だったので、2度寝が出来てぬくぬく。
・好きな飲み物を見つけたので、どきどきしながら買ってうまうま。
・雪が降るというくらい寒いので、大好きな冬コートが出せてにやにや。
・さむさむの体でお風呂に入ったら、じーんとしてほこほこ。

・・・。
なんだか、かえるの幸せはあちこちに散らばっているので、
どうくくったら「かえるの幸せ定義」になるのか分からなくなりました。
大困りです。

けれども、よくよくこの良く分からない「幸せ羅列」というものを見てみると、
こころとからだに問題があるときには、同じ状態であっても「幸せ」だとは思えない気がします。

どうやら、あくまでかえる自身に問題が無い時にしか、
「幸せ」というものは見えにくいのかもしれません。
おなかがすいている時に、あったかのお風呂に入っても悲しくなるばっかりという感じです。
この場合、さらにおなかがすいてしまうので、凶暴化することこの上ないのです。

そして、もう一つ。
ちょっとした「何か」が会った後に、「ある行動・事態」というものがあるからこそ、
その「ある行動・事態」というものが、幸せと感じるのかなぁ?とかえるは感じます。

1日中、家であったかごろごろしていられるのであれば、それはそれで幸せですが、
ずーーーーーっと家の中でごろごろして無くてはいけなかったら、そのうち飽きてしまいます。
人間刺激が足りなくなると、頭の中で無理やり刺激を作ってどうにかしようというぐらい、
刺激・変化というものが欲しいと思うイキモノだからです。

だからこそ、「何かちょっとした事」があった後に「自分にとって望む事」と言うモノが来ると、
その2つの差というものが激しければ激しいほど、「幸せ」というものはより強く感じられるのでは?
とかえるは思うのです。

こころとからだと変化と望むもの。

どれが欠けても「幸せ」が見えにくくなるのであれば、
かえるはとりあえず、「幸せ」が見えやすくあるような状況に居ると言う事そのものを、
「幸せの定義」にしたいなぁと思うのです。

貴方の「幸せの定義」なんですか?
      
 
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