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朝、大好きなお味噌汁を作ろうと思いたち、ヤカンを覗き込むと、
お出汁が既になくなっていてショックを受けたかえるです。
こんばんは。
当たり前では?と言われると途方にくれるのですが、
かえるは一応歩く事が出来ます。
ついでに、日本語を話す事も書くことも出来ます。
一応。
けれども最近思うのです。
確かに毎日歩いたり、お話したり、言葉を書いたりしていますが、
それらを「きちんと」出来ているのか?
と言われると少し困ってしまうのではないか?と。
疑問の起こりは、先日出先での事。
かえる、その日は珍しく暇だったので
お茶屋さんの外の見える席でぼんやりと歩く人を見ていました。
この全力で寒い時期、外を歩く人は皆厚着でもふもふっとした感じでしたが、
それでも、手をポケットに入れる人、落ちてくるマフラーを手で払いあげながらも、
困ったなぁーという顔で歩く人たち。
皆やっぱり寒いなぁという顔で歩いていて、
ついでに、お揃いのように下を向いてちょっぴり猫背で歩いていました。
なんだか、暖かい場所から見ているかえるも寒くなりそうです。
そんな中、一人のお姉さんが前をまっすぐ向いたお姉さんがさくさくと
かえるの前を通り過ぎました。
かえる的には絶対寒い格好。
でも、そのお姉さんの立ち方歩き方には寒さというものは微塵も感じられませんでした。
とても、格好よくてうっとりと見惚れてしまうと同時に、
かえるは一つの事を思い出しました。
実はかえる、10年ほどアイススケートをやっていたのですが、
その時に嫌というほど言われた言葉があったのです。
「背筋は曲げない、自分、そして自分の演技に自信を持つ。
そして、見られていると言う事を自覚しつづける。
それは踊っている時も普段経っている時も意識しつづける事。」
当時言われた頃には全く本意が分からなかった言葉。
けれども、スケートに踊り方や見せ方があるのであれば、
歩き方というものに歩き方や見せ方があってもおかしくはないと思います。
そして、それは話し方や書き方というものにも当てはまるのでは?
とかえるは思うのです。
誰もが出来るからこそ、あえて意識しない場所。
けれども、誰もがやる事が出来るものというものに対して
ちょっとだけでも興味や意識をしてやってみる事が出来たら、
同じ事でも、かっこよさというものが違ってくるのではと思います。
あんまり意識したらそれはそれで滑稽ですが、
まったく意識しないのも、それはそれでちょっと愉快な姿です。
これを読んでいる瞬間の姿、ちょっと人に見せられますか?
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