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珍しく、「今度はこういうものが足りない時は?」
と、いくつか話が振られて来ました。
普段、そういう突っ込みが来ない分、
色々な意味で嬉しくて仕方が無いかえるです。
こんばんは。
「「怒る事」というのが出来ない」という人を、かえる時々お会いする事があります。
基本的にむーむーとすぐに怒るかえると大違いで、こんな「怒らない方」というのは、
何をしていても、「にっこり、ほんわり、ほんやり」としている方が多いのですが、
色々お話をしていると、どうやら「怒らない」という方向は似ていても、
「どういう理由で怒らないのか?」と言う事は、違う時があるみたいなのです。
そんなに人数お会いしたわけではないのですが、話を伺っていると
「怒るほど、その人に期待していない」という方向で怒らない方と、
「ひとを怒るほど、自分は出来ていないし、怒ると冷静になれない」という方向で怒らない方
という2種類があるような気がしてきました。
「怒るほど、人に期待していない」
一見すると、ちょっと寂しいこの言葉。
けれども、過剰に期待しすぎて怒ってばかりの人生よりは、
ちょっとだけ楽ちんなのかなぁ?とかえるは思います。
最初から期待していないのか、それとも、必要最小限しか期待しないのか?
というのは人それぞれでかえるには分からないのですが、
でも、きちんと伺ってみると色々な気持ちが入っているからこそ
こういう言葉として出てしまうのでは?とかえるは思うのです。
そして、もう一つ。
「人を怒るほど自分は出来ていないし、怒ると冷静になれないから怒らない。」
こんな言葉が言える人、本当に自分に厳しいのだなぁとかえるは思います。
出来るだけ自分を律する。
出来るだけ、自分の感情・考えという判断で人を怒らない。
そう滅多に出来る事ではないとかえるは思います。
けれども、仮に「怒るという感情」というものを持っていても、
出さないというのがこの言葉を持つ方。
けれども、あんまり我慢してしまうと、ある日ぷちんと糸が切れてしまうのでは?
とかえるは思うのです。
「怒ること」。
それだけを見たら、怒らない方がよいのでは?と一見思われるとは思いますが、
人は怒ると言う事で、自分を正当化するという面も持ち合わせているとかえるは思います。
「怒らない人」というのは、ある意味とっても「自分に厳しい」のだとかえるは思います。
けれども、あまりにも自分に厳しいばかりでは、
周囲は「何で怒らないのだろう?」と心配してしまいますし、
あまりにも怒らずに自分の中で抑えてしまうと、
そのうちその「怒る気持ち」というものが、身体に表れたりしてしまうこともあるのです。
小さな歪み。
小さないらいら。
そんなものが貯まってしまうと、ある日ぷつんと取り返しがつかない事をする事もあります。
全力で人を怒りつけたりする前に。
そして、自分というものをきちんとある程度正しいものであると認識する為に。
「それ、すると怒りますよ」という程度は、警告しても良いのではないでしょうか?
ちなみにかえるは、お友達に精神的肉体的危害を加えられると本気で怒ります。
むかぷーなのです。
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