平成15年2月18日。
 
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昨日の「ちょっと心理学っぽい」お話というものが、
微妙に好評でうれしいかえるです。
調子に乗りつつこんばんは。

「感情がちょっと足りなくて…」というちょっと不思議な人生相談の中でも、
 何故か安定して多いものの中に、
「「好き」という感情が無い・少なくて困る」というものがあります。

「人を、「信用するに足る相手」として見る事が出来ない」というものから、
「特定の「誰か」というものを愛する事が出来ない」というものまで。

「好きになれない」「好きを感じる事が出来ない」と人それぞれなのですが、
それでも、「好きになれない」というちょっと困った事象の相談というものは、
恋愛相談に続いて、かえるの元には何故かたくさん事例があるものなのです。

唐突ですが、かえるは「人を好きになる」という事は、
「その相手を無条件に信用する事」だと思っています。

もしかしたら、相手に裏切られるかもしれない。
にもかかわらず、損得勘定抜きにその人を無条件に信じる事が出来る。
その人の隣であれば、「自分は居ても良いのだ」と思う事が出来る。
何か打算を考えなくても、次の手を考えなくても、
自分でいる事さえあれば、そこにいても良いと思う気持ち。

人間の一番大事な承認とされている、
「他者からの無条件の受容」というものに似ているこの感情。
基本的にはそうそうなくなるものではありません。

にも関わらず、ここまで「好き」と思えないという相談が頻発すると
かえるも少し考えざるをえなくなってしまいます。

確かに、信用すれば信用したほど。
大事だと思っていれば、思っていたほど。
裏切られた時・期待に添うものでなかった時のショック
というものは激しいものかもしれません。

この、下手をすれば人間不信になるかもしれないと言った痛み、
それは、「失った時」「得られないかもしれないという気持ち」
という痛くて仕方が無いものと引き換えにしても、
色々と得る事が多い気持ち・感覚だとかえるは思うのです。

無条件に、人を自分の中に入れた時のほんわかとした感覚。
自分のした些細な事で、人が喜んでくれた時のやわらかい気持ち。
贈り物を一生懸命考えている時、ふと我に返ったときの苦笑するしかない気持ち。

もしかしたら、「自分を愛してもらう」と言う事よりも、
「自分が他人を好きになってみる・無条件に信じてみる」と言う事は、
相当人としての発達が後にならなくてはする事が出来ない事かもしれませんが、
それでも、まず、ほんの少しだけでも「無条件に人に何かをしてみる」
と言う事が出来るのであれば、
「人はきちんと「他人」を好きになる事が出来るのでは?」
とかえるは思うのです。

人を無条件に信じる事は、ある意味一番難しい事かもしれません。
一生のうちに、本当に打算ではなく信用できると言う事は、
多分そう何度も無いとかえるは思います。

ゆっくりと。
そして焦ることなく、期待しすぎることなく。
まず、等身大の自分を信用してみるのは如何でしょうか?

それが出来れば、他人を信用する事も可能なのだと、
かえるはしみじみ感じます。
      
 
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