平成15年2月22日。
 
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昨日ささやかに叫んだところ、この方に良い歯医者さんを教えていただきました。
…遠すぎです。
そんな事を筆頭に、色々な事がありすぎてささくれているかえるです。
こんばんは。

「結果が無ければ、全部駄目なんだ」
という言葉を聞いた事があります。

物事を始めたのであれば、「何か」まで到達しなければ敗者であり、
また、やる意味を持たない。
と言う意味だった気がします。

「0なのか1なのか?」という、このある意味究極の言葉。
かえる、実は耳にするたびに心がひやりとするのです。


All or Nothing。
心理学では「何かに追われるかのように、ひたすらそれをしなくてはならない」
と思い込んでいる人の気持ちのことを、こう言う事があります。


「100点でなければ、それ以外は0点と同じだ。」
「体重が40台前半でないと、生きている価値が無い」

こんな傍から見たら「ちょっとまって。」といいたいような台詞。
99点と0点とは、色んな意味で天地ほどの差がありますし、
体重は身長、環境、体調に見合ったものでないと、人生後で困ってしまいます。

にもかかわらず、こんなふうに「○○しなくてはいけない。でないと〜。」
という自分で自分を追い込んでしまい、あまつさえ自分自身を精神的に傷つけてしまう…。
そんな事が、実際にはあるのです。

周りが何を言ったとしても、言葉が心に届かない。
自分で自分の首をしめていると言う事を、どこかで知っているのにもかかわらず、
「どこ」で方向転換をしてよいか?という事が分からない。
下手をすれば、自分自身が思い込んでいる「○○でないと駄目なんだ」という事が
社会的にずれていると言う事すら分からなくなっていく。

そんな、人生の道ばたで自分で自分の足を踏んでしまい、
立ち往生しているかのような人を見ると、かえるしみじみと思う事があります。

果たして、全て「結果」のでる事などあるのだろうか?と。

確かに、目的の体重・点数等を取る事が出来るのであれば、
それはとっても幸せだとかえるは思います。

けれども、毎回100点を取っていたら「自分はどこが弱いのか?」と言う事は永遠に分かりませんし、
目的の体重になったからといって、何かが劇的に変わるわけでもありません。

失敗するから、見えることもありますし、
見えたからこそ、本来自分が思っていた事とはちょっと違った事に気がつく事だって出来るのでは?
とかえるは思います。

All or Nothing
結果が出なければすべて駄目。

そんな極論から極論に走る思考で、自分を苦しめるよりは、
少しでも変わっていく自分というものを見つけられたほうが、
かえるははるかに幸せだと思うのです。
      
 
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