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てぺてぺと一日中色々な場所を歩いていたら、
人生が愉快になる一歩手前までいったかえるです。
…人生愉快になりつつこんばんは。
かち。
と小さな音だけを残して、小さな髪留めは2つに壊れてしまいました。
力を込めたわけではなく、
気がついたときには、2つに壊れてしまっていた髪留め。
2年前のクリスマスの時に、1組をクリスマスプレゼントとして戴いて。
戴いた場所で1つ無くして。
慌ててお店にスペアを買いにいったら、今度はそのお店の店長さんが
かえるに同じ物をプレゼントしてくれて。
そんな、かえるにとっては大切なものが壊れてしまい、
ちょこっとだけへにょへにょになってしまっていました。
かえるにとっては、それは既に髪留めとしての役割ではなく、
「大切な思い出があるもの」となっていたからなのです。
物を買った時、貰った時。
誰から貰ったのか?
その時、誰が隣に居たのか?
購入したのであれば、その時の気持ちは?
そういう事を何故か記憶にとどめやすいかえるにとって、
気に入ったものであれば有るほど、それが駄目になった時に落ち込んでしまうのです。
しばらく落ち込んで。
それからしばらくの間、同じ物はないかとうろうろ探して。
けれども、「これと同じ物を探しているのです」
と壊れていない方の髪留めを探している時に言われた事があるのです。
「同じ物は流石に手に入りませんよ。」と。
元々、アンティーク流れのその髪留め。
微妙にアンティークなせいもあって、似ているものすら最近は出回りません。
けれども、同じ物が仮に見つかったとしてもそれは同じ物ではありません。
壊れてしまったものが、かえるの『思い出のもの』のはずです。
もう髪留めとしては使えないけれども、思い出あるもの。
人から見ればただの壊れた髪留めですが、
かえるにとっては大事な思い出の欠片なのです。
そういう自分だけの大切なもの、ありますか?
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