平成15年5月13日。
 
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最近、ここの3行が「生活圧迫している?」と
知り合いに突っ込まれるだけ突っ込まれ、
妙に寂しいかえるです。
こんばんは。

「「唯一絶対」になんて、したくなかったのです」
そんな話を聞くことが、最近妙に増えました。

そして、そんな話の中で、
「唯一、絶対」
「それがないと、なくなってしまう世界。」
「無くしてしまうと、自分までもなくなってしまう」
といった言葉を聞くことが、更に急激な勢いで急に増えました。

世の中に、それこそ星の数ほどあふれていそうな
小さな恋愛の終結の話。

けれども、その一つ一つのお話は、
聞く事しか出来ないかえるにも、
やるせなさがしみしみと伝わってくるモノなのだなぁと思うのです。

寂しく、苦しい、恋愛の終結。
切り出す方も心苦しく、切り出される方には寝耳に水で。
そして、「それ」を考えるだけでただ、寂しくて苦しくて。

と言った恋愛の終結。
人生のうちにそう何度も経験したくは無いものだとは思うのですが、
そんな終結話を聞いていると、最近かえる思う事がありました。

恋愛は、何人称なのだろう?と。

恋愛が終結してしまう、無理やり終結させてしまった後、
大概の人が落ち込んだり、「自分は駄目なのかなぁー」と思ったりすると
かえるは人様の話を聞いていて思います。

けれども、大概の方はやっぱり数ヶ月すると新しい「対象」(モノであったり、
出来事であったり、お仕事であったり、新しい好きな人であったり)に
どきどきするようになって、かえるには終わった恋愛についてお話をしてくれなくなります。

どうやら、その人の中でその恋愛は終結してしまうみたいです。

そして、仮にお話してくれたとしても、「あの人は、元気みたいだよ」と
まるで昔から他人だったかのように、さらりとお話してくれるのです。

…数ヶ月前は、世界の終わりのような感じ方をされていても…です。


が、何ヶ月経ってもひたすらその終わってしまった恋愛にこだわり、
「ああすればよかった。」
「あの人にまで嫌われてしまったら、自分は生きていけない」
とぽちぽちと言われる方も中にはいらっしゃるのです。

その人が居なければ生きていけない。

まるで、自分とその人というのは一緒に居なければいけない人。
「その人は、自分の一部」みたいな感じなのです。

確かに、そんな「自分の一部」が居なくなってしまったら、
その人の世界は終わってしまいそうです。

自分が居なくなったら、それは苦しいと思うのです。

そんな、「他者との恋愛」と「自分の中の恋愛」

ちょろちょろとお話を伺っていると、
そんな2人称の恋愛と、1人称の恋愛というものがなんだか世の中にはありそうだと
かえるはちょっぴり思うのです。

どんなにダイスキだと思っていても、終わりがあるのが大多数の恋。

そして、どんなに波長が合うと思っても、やっぱり違うというのが分かるのが
長持ちしそうな恋愛な気が、かえるは人様のお話を聞いていて思ってしまうのです。

他人は何処まで行っても、自分と同じにはなれません。
そして、自分もどこまで行っても、他人と同じにはなれません。

それが分かっていないと、
それを理解しないと、
延々と「自分と同じ人」を失ったと、泣き続け、苦しみ続けるのが
恋愛の終結なのかなぁとかえるは時々思うのです。

貴方の恋愛、何人称で展開されていますか?
      
 
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